第5章 花酔ひ
戸が閉まるの音が童磨の背の方で鳴った。
表情に張り付いた表の顔が剝がれると、どこか温かみのある眼で朧気な視線のまま留まる。
ここは、童磨の浴室でもあるが、人を喰らった匂いが漏れないようにソレを落とす場所でもある。
入り組んだ教団の建物であるため幹部でも童磨からの信頼が特に厚い松乃と唐津山しか知らぬ場所であるため、人の気配はない。
日の光や月の光も入らないこの部屋は、湯煙と橙色に揺れる無数のランタンの光が幻想的である浴室は唯一童磨が本来の心のままになれる場所でもあった。
人前では見せない起伏なき表情は
今や温度が灯り、時折思い出したように暖かさが増すことがある。
それには本人さえも気づいているが、無意識で出るその現象に一番に驚いていたのも本人であろう。
少し鼻につく薬品の香りが漂う湯は、本人が再生力の強い鬼であるからこそ入れるものである。
湯に入ればただ天井を仰ぎ見て、長く息を吐きながら、再び瞼を下した。
きりりと痛む胸の奥はほんのりと温かい。
そっと胸に手を当てれば、まだ誰からも妨げを受けていない
恋路に菖蒲を想った。
「菖蒲...。」
ふと、昼の事を思い出しては表情に温かみが増し、心からの笑みが溢れてくる。
そんな自分を観察するように頬に手を当てては、嬉しそうに頬を緩める姿をだれも見てはいない。
おそらく今頃は、松乃と話を弾ませているのだろう。
そう思うと実の親子でもないというのにその姿が脳裏に浮かぶと喜ばしく思った。
その感情ひとつひとつを味わうように胸に手を当てて、心の動きを楽しんでいる。
「こんなに暖かいのか...。もっと早く知りたかった。」
でも、それは自分が気の遠くなるような年月を同じ姿で生きてきたからこそであることを思えばそれも運命である。
幼少のころから世間に触れることがかなわなかったからこそ、志高く生きる菖蒲のような人物と出会えたのだ。
何をして、何を考える時も菖蒲の事がどこか心の片隅にいるようになって、その変化を感じ取っていた幹部はそれを良しとした。
「神楽姫.....」
「極楽浄土.....」
うわ言のように信者が口にした言葉を呟く。
その声は湯煙に溶けては浴室の中でこだました。