第5章 花酔ひ
夜も日が落ちて、松乃がなかなか出てこない菖蒲と童磨を気にかけ、舞踊部屋の戸を叩いた。
「松乃だね。いいよ。」
「失礼します。」
重い引き戸がゆっくりと開けられて、松乃が姿を現した。もう一人の頭をそり上げた30代ほどの男の幹部"唐津山"も一緒である。
「童磨様。湯あみの支度とお食事はどのように致しましょうか。」
「松乃。男をここに連れてくるなんて不躾だね。大方君ならここで何をしていたか想像がついただろうに。」
「も、.............申し訳ございません。」
「いいよ。唐津山が頭を上げないように、視線をこちらによこさないように最低限躾けてあるようだしね。」
そう言って、後ろ姿を見せたまま二人に語り掛けた。
「それで、霧滝様は...?」
「疲れて眠ってしまったようだ。起きたら呼ぶから、湯の用意とこの子の食事の手配を頼むよ。この子をよく思わないものがいるかもしれない。毒見は二人にお願いしよう。」
「今日の御説法は。」
「あぁ。出るよ。その際は松乃が菖蒲に付いていてくれないかい?」
「畏まりました。」
「お下がり。」
「はい。」
再び、引き戸の重い音が響き、静寂が訪れる。
二人が戸の前から去った気配を確認すると、目の前の眠っている菖蒲の頬をさらりと何度も撫でた。
「今宵の記憶が、君の中でどれだけ今日みたいに鮮やかに残ってくれるかな?」
どうしたって、この手の施しようもく決壊して暴れる感情は、どんなに無惨様が俺に対して無関心であろうとも全て筒抜け。
菖蒲の方がどんなにうまくいこうとも、こちら側の限界は近かろう。
そのように考えを巡らせば、胸が酷く痛むのを感じる。初めての感覚を味わうように眠る菖蒲を見つめる眼差しは悲し気を含んだ無表情。
現実と願いと己の中で戦ったことなど、教祖としてではなく一人の生命体としてあったのだろうか。
せめぎ合う心の中で、目の前に初めて心を動かし心を奪われた人間の存在が、どれほど大きな存在になっていたかを思い知らされるばかりである。