第4章 泥から咲いた蓮のように
旅館の浴衣に着替え 梅子に先に行くよう言われると、再び廊下へ出る。
そこには旅館の中居が待っていた。
「この度は誠にお疲れさまでございました。」
笑顔で迎える女性につられて頭を下げると、目の前に紙で括られた桃の花1輪が差し出された。
「今日の宴会に来て要らしたお客様から、霧滝様へ渡すようにとこちらを預かって参りました。」
体が何かに反応するように鼓動が早くなる。
「お客さん…、とは?」
「珍しい髪色をされたかたでしたが……。」
あとひとつ、特徴を言われてしまったら、自分の中で何かが壊れるほど、もう思考に余裕がない。
「そう、ですか……。有り難うございます。」
宗家に贈られた花は、業者によって家元に届く手はずとなっていたはずで、踊り手が誰になるかなど知らされていなければ、自分宛に花を贈る人もいない。
とすれば、自分に渡す者は想像するに容易い。
菖蒲はドクドク煩い鼓動を圧し殺して、静かに中居の前を足早に去っていった。
舞曲に花の名が多く使われるというのに花言葉を知らない玄人の舞手がいるはずもない。
そして、もし家元の後継者であれば直接声をかけてくる。
気づくと、宿泊する部屋への階段を駆け上がっていた。
胸元に桃の花を握りしめて、隠れるように部屋の戸を開けて中に入り、巻かれていた紙を広げる。
________桃の花を受け取りし、神楽舞踊の君へ。
汝、夜空に身を乗りだし、先程の舞の心に住む者の名を呼びたまえ。_______
紙の端に、見慣れた宗教のシンボル。
考えるよりも先に体が動いて、勢い良く窓を開け放った。
「童磨……さん……」
呼びながら、気づいてしまった。
自分がしていることは、
理性に抗えない己の思いを
言葉の代わりに認めてしまった瞬間だった。
夜風がふっと暗く冷たい風を伴って頬を掠め
気づいたときは、
冷気と真逆の暖かく硬い、あの部屋のお香の香りに包まれて
「ありがとう。菖蒲ちゃん……。」
そっと一筋、涙をおとした。