第12章 帰還と安穏
襖が閉まり、足音が遠ざかっていくのを確認すると、菖蒲の傍らにしずかに座り、慎重に慎重にこけてしまった頬を撫でてみる。
「おかえり…」
労いのつもりで触れたはず。
しかし、その肌に触れてみると、安堵とともに、今も彼女の中に己に向けられた強い思いが残っているのかという不安が生まれる。
そして、今の君を見ているだけなのに今までの苦労が見えてきてしまうんだろう。
そして、自然と涙が溢れてくる。
_______ああ、これだ。これなのか
童磨は、自分の頬を濡らす温かい液体を、奇妙なほど冷静に観察した。感情とは無縁の存在であった彼にとって、それは未知の生理現象そのもの。
「安堵」
「再会の喜び」
「彼女への仕打ちへの怒り」
それらが全て体中で持て余せば、それは溢れて涙になる。
別れを告げられた時、衝動で抱いた時に流した時も
同じような感覚だったと振り返る。
「やっぱり、君に対してだけ、俺は…」
知らない感情に出会って
乱されて
振り回されそうになる
どうして、こんなにも愛おしんだろう。
涙の塩辛ささえも、じっくり感じることが出来たのは初めてで…
その胸に沸き上がる感情を、まるで新しい遊び道具を見つけた子供のように観察した。
この感情の連鎖を永遠に観察したい。
それが菖蒲なしでは敵うことがないことを改めて思い知る。
本当は今すぐ思いのたけほど抱きしめたい。
その欲を押し殺して、静かに、そして慎重に、彼女の額を撫でてみた。
その時、動きを感じて手を引くと菖蒲の細い腕がゆっくりと動き始めていることに気づく。
その動きの行く末を
ただただ、じっと見つめる事しかできない。
時が止まったように息が出来なかった。
やがて動き出した手は、反対側にある頸の付け根に触れた。
そこは、別れ際に残した愛した証を刻んだ場所。
目が驚きと喜びに見開かれる。
心臓を暖かく包まれたような錯覚に胸を抑えた。
行き場のない感情が胸が熱くなるものならば、血鬼術に阻まれることはない。
ただ、とうとうと涙が溢れた理由
それは紛れもなく、無意識の行動になるほどに
日々その傷を撫でながら地獄の日々を耐え忍んでいた証であり
己への愛は彼女にまだ、色濃く存在する証明でもあったから。