第11章 浄土と氷獄
丑の刻。
松乃が山中の小さな寺院でお堂の灯を守っている、まさにその時刻。
静代は、人里離れた古い小さな神社を訪れていた。
彼女の隣に、誰の姿もない。
静代は一人、闇夜の中、足元の白積もりの雪を、決意を確かめるようにひとつひとつ踏みしめて本殿へと向かった。その身に纏うのは、清めと覚悟を示す白装束。
鶴之丞を殺し、流派ごと潰すという、常識から外れた願い。それは、鬼である童磨に託され、娘同然の愛弟子の幸せを願って下された、師としての究極の決断である。
静代は、この悲劇の連鎖を生み出した流派のしがらみ、そして菖蒲の苦しみに気づけなかった親として、自らも責めを負うべきだとここへ来た。
この儀式は、誰の助けも、誰の目も必要としない、魂の贖罪。
本殿の裏にある、古びた大杉の前に立つ。
藁人形など用意していなかった。
静代にとってこの儀式は、誰かを呪うためではない。
自らの魂を裁くためのものだった。
静代は、静かに目を閉じ、胸の前で深く手を合わせた。その眼裏に浮かぶのは、蔵で冷え切っていたであろう菖蒲の姿と、過去、稽古場で輝いていた愛弟子の笑顔。
「菖蒲ちゃん。苦しいだけの地獄より、幸せな地獄を二人で行きなさい。静代が何があっても守りますから……」
「幸せな地獄」とは、人の道を外れた童磨の隣で生きる道のこと。
それでも、鶴之丞の与えた「苦しいだけの地獄」よりは、
遥かに温かい。
静代は、人外の力を借りた罪を背負うことで、菖蒲が『悔いのない選択』をとれるようにと願った。
静代は、持参した大きな釘と古びた槌を、雪の上に置いた。
童磨は、鶴之丞を「始末」する。それは、菖蒲を救うための絶対条件。
この事実は、華雅流の師範として、見過ごせない大罪となる。
静代は、その釘を、藁人形ではなく、直接に大杉の幹へ、己の心臓の高さに合わせて当てた。
そして、槌を振り上げ、一気に打ち下ろす。
ゴンッ!
鈍く重い音が、深夜の山に響き渡る。静代は、衝撃で全身を震わせたが、もう一度、力を込めて打ち込んだ。