第11章 浄土と氷獄
その瞳には、最初、絶望と幻覚の混乱が浮かんだが、松乃の顔と声、そして彼女の衣から漂う極楽教独特の香を嗅ぐと、その瞳に理性の光が戻った。
「……」
菖蒲の声は出ないものの、その口元は確かに『松乃さん』と動いていた。目元に涙が溜まるその僅かな光は、生きる事への渇望をにじませている。
松乃は、急いで用意してきた厚い毛布で菖蒲を包み、自らの腕で優しく抱きかかえた。菖蒲の身体は驚くほど軽く、氷のように冷たく、骨張っていた。
「ごめんなさい、すぐに、楽にして差し上げます」
松乃は、菖蒲をしっかりと抱き、音もなく蔵から脱出した。
午前零時。
松乃は、菖蒲を教団の麓の集落にある、ひっそりとした寺院のお堂へと運び込んだ。すぐに呼ばれていた年老いた医師が、彼女の診察を始める。
「これは……ひとまず、診てみましょう」
重い沈黙
その末に診断が下される。
「かなり深刻な状況と言えましょう。
この方は、重度の肺炎、栄養失調、そして衰弱が激しすぎる。体温が著しく低い。正直に申し上げて、持ち直すかどうかは五分五分です」
医師の重い診断に、松乃は顔を歪ませた。しかし、絶望している暇はなかった。
松乃は医師に指示を出すと、静かに目を閉じ、胸の前で手を合わせた。
________童磨様。わたくしは、菖蒲様を冷たい地獄から連れ出しました。どうか、あなた様が切り開かれます浄土にて、その命の炎を、再び灯させてください……
松乃の祈りが終わる頃、密使が到着し、松乃は実田を通じて静代へ『救出成功、ただし容態重篤』の報を届けさせた。
救済の第一段階は完了する。
そして、遠く離れた山中の寂れた祠で、静代は、ある重い儀式の準備を終えようとしていた。