第10章 凍土の胎動
「重い病......?はて、それはいつ頃からなのかな?昨年の暮れはあんなに元気に舞っておられたのに。
医者にはちゃんと診て貰ってるのかね?」
「もちろん、でございます。ただ、奥様は病の穢れを大変気にされておりまして、人様に移ることを案じて、奥の蔵にて療養中でございます。家元の鶴之丞様も、看病で心労が絶えず……」
「蔵で療養?」実田は眉をひそめた。それは、病人に施す療養ではなく、隔離の言葉だった。
その時、廊下の奥から、鶴之丞の足音が近づいてきた。
おふみの背筋が一瞬で硬直する。
この数ヶ月、鶴之丞に追い出されないよう細心の注意を払いながら、陰で菖蒲の世話を焼いてきたおふみは、鶴之丞の憤怒の気を察知し、言葉を飲み込んだ。
「何用だ、実田。菖蒲は、使い物にならぬ。私の許可なく、この屋敷に立ち入るな」
鶴之丞の声は、刺すような冷たさを含んでいた。その顔は、以前の優雅な気品を完全に失い、狂気と睡眠不足でひどくやつれていた。
実田は、ただならぬ異変を感じた。おふみの震え、鶴之丞の剣幕、そして「蔵での療養」という不自然な言葉。
_____はて……病が本当だとしてもかなり大変なことになっているのでは…?
実田はすぐに頭を切り替えた。ここで騒いでも、菖蒲や使用人の身がさらに危険になるだけだ。
「これは失礼いたしました、家元。奥方様がご病気とあれば、致し方ございません。来年の祈願は、また時期を見て改めてお願いに上がります」
そう言って深々と頭を下げ、実田はそそくさと屋敷を後にした。彼の足取りは、先ほどとは打って変わり、固く決意した一歩を踏み出していた。
____おふみさんまで、あんな状態では命に関わる。まずは静代師範に知らせねばなるまい……
実田が去った後、おふみはそのまま崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、鶴之丞に聞こえないよう、そっと安堵の息をついた。
おふみは、鶴之丞が生まれる前から奉公に来ている使用人で実田の事もよく知っていた。
一代で財を成した男で行動力も人脈も察する能力にも長けた人物であることと、何か事情を察したような去り際の様子。
外側の世界が、ついに動き始めるのではないかという期待ゆえの安堵の想いだった。