第10章 稽古という名の
義勇を台所から追い出して、さて始めるかとなった時、琴音は千代の側にスススと近寄った。
「あの、千代さん。少し手伝ってくれません?」
「あら?どうして?」
「私、冨岡の好きな味とか全然知りませんし」
「私も知らないわよ」
「えっ?」
「こうして欲しいとか言われたことないもの。いつも私の好きに作ってるだけ」
「そ、そうなのですか?どんな味が好みとか……」
「うーん……通い始めた頃に聞いてみたことはあるけど、明確な答えは返ってこなかったわね。好みとかあるのかしら」
「そうですか」
琴音は首をひねる。義勇らしいといえば義勇らしいな、とも思った。
そんな琴音の様子を見て、千代はフフッと笑った。
「夜月さんは、冨岡さんのことが好きなのねえ。冨岡さんの恋人なんでしょ?同じ仕事だといろいろ大変よね」
「……え?」
「好きな人に喜んでもらえる物を作りたいって乙女心、わかるわぁ」
「え、あの、」
「この家、ほとんど誰もお客さんが来ないから心配してたの。たまに来ても殿方ばかりで稽古だし。でも、こんなに可愛らしい恋人がいたのね」
「いや、ちがっ、違いますっ!」
「ふふふ、照れない照れない!なんだかそういうの懐かしいわぁ」
一人で盛り上がる千代の誤解を、あたふたとしながら必死になって解く琴音。
「だから!恋人じゃないですし!これは約束の鮭大根で、今日は稽古に来たんです!!」
「あらそうなの?つまらない」
「つまらないって……」
「本当に冨岡さんって女っ気がないから。もう二十歳過ぎてるのに。……あ、もしかして、男の人が好きなのかしら」
「男の人……どうでしょう。可能性がないとは言い切れませんね」
そんな話をしながら、結局二人で台所に立つ。千代は喋りながら手伝ってくれていた。
「よし、下準備はこんな感じかな。味付けどうしよっかなぁ」
「夜月さんの好きすればいいと思うわよ」
「そうですかねぇ」
「冨岡さんはきっと、あなたの作るものを食べたいってだけだから」
「そうなのかな」
「そうよ」
「……じゃあ私の好きな感じに仕上げちゃお」
琴音は醤油やみりんで味付けをしていく。楽しさと不安を混ぜたようなその表情は、やはり恋する女子と変わらないものだった。千代はそんな琴音を微笑みながら見ていた。