第38章 春を待つ
「そんなの、なんにも辛くないじゃない」
「夜月」
「私が冨岡をぎゅってしてあげる。ずっとずっと離さずに抱きしめてあげるから、冨岡はそっと私の背中に手を添えればいいの」
「……うん」
「冨岡が生きて側にいてくれてる。それだけで私はもう最高に嬉しくて幸せだから、なんの問題もないよ。身の回りのことだって、私が全部やってあげる。大丈夫よ」
そう言って、涙目のまま義勇に微笑みかける琴音。左手はまだ吊られており、短くなった髪をさらりと揺らしている。
義勇の胸に、彼女への愛しさがこみ上げた。左手で身体を支えて半身を起こそうとする。
「あ!こら!動いちゃ駄目だってば!」
琴音は止めようと義勇の肩を抑えた。琴音も片腕なので、やや義勇にのしかかるような体勢になる。近づいたことで、琴音の存在感が義勇にしっかりと伝わった。
ベッドに押し戻された義勇は、左手を彼女の背に回して自分へと引き寄せた。
「きゃ…っ」
バランスを崩した琴音の上半身が、義勇の胸の上に抱きつくような形で乗っかった。琴音は驚いてすぐに離れようとするが、義勇が離してくれない。
「もうっ、冨岡っ!なにを……、」
琴音は文句を言おうと思ったが、密着した体から義勇が小刻みに震えているのが伝わってきて口を閉じた。
右手を彼の首元にそっと回して髪を撫でて、抱きしめてやる。
「よしよし」
琴音は、義勇が泣くところを初めて見るなぁと思った。
しかし、すぐに、いや子どもの頃に一度見ていると訂正をした。蔦子の葬式で、彼は声を上げて泣いていた。
大人になった義勇は、声を殺して、琴音を抱き寄せながらぽろぽろと涙を溢している。
これは一体何の涙だろう。
腕を失った悲しみだろうか。
互いに生き残れたことへの喜びだろうか。
戦いが終わったことへの安堵だろうか……
それは義勇にもよくわからない。
ただ、涙だけが次から次へと溢れてきた。
義勇が涙を流している間、琴音はしっかりと義勇を抱きしめていた。