第29章 そっと、ずっと
義勇と女の口付け。
おそらく、あの光景を琴音は忘れることは出来ない。時折フラッシュバックしては彼女を苦しめるだろう。
唇を消毒したところで消せるはずなどない。わかっている。
それでも、事実は変えられないのだから、それを受け入れて進むしかない。
別れたくないのであれば。
「帰ろう」
「…………」
「一緒に帰ろう。荷物をまとめてこい」
「明日にする」
「何故だ」
「製薬が途中なの。キリつけてからにしたい」
「……………」
それが本当なのか口実なのかはわからない。
とりあえず、薬に負けた。義勇は悲しくなった。
「あ、隊服べたべたになっちゃった。ごめん」
「いい。俺が泣かせた涙だ」
「……明日洗うから、私の部屋に置いといて」
それでも、帰るという意思表示をしてくれた琴音。
「もう夜だから、今日は帰って」
「……わかった」
「薬、ありがとう。先生のところまで私を探しに行ってくれたんだね」
「ああ」
義勇はポケットから小箱を出して渡した。
『家に帰ってきたら渡す』と保険をかけようかとも思ったがやめた。そんなことをしなくともきっと帰ってきてくれると思えたから。
「ありがとう」
琴音は嬉しそうに笑った。
義勇の好きな、柔らかな笑顔だった。
「なんの薬なんだ」
「隊の命運をかけた物だよ」
琴音は箱を大事そうに胸ポケットに入れた。説明する気はないらしい。
「明日、お迎えはいらない。蝶屋敷に寄って帰るから」
「荷物もあるだろう。体は」
「平気」
まだ少し、彼女との距離を感じる義勇。
喧嘩の後というのはこんなものなのだろうか。
だが、一応の関係修復は出来た。はず。
彼女を下手に刺激しないよう、義勇は言われるままに帰ることにした。
「また明日」
念を押すように琴音を見た。
「うん。おやすみなさい」
琴音は穏やかに笑っていた。