第29章 そっと、ずっと
目を見開いて固まる琴音。
何故、義勇がそんなことをしているのか。
稽古場に女と二人きり。
義勇の首には女性の手が巻き付いている。角度的に義勇の表情は見られないが、女性は頬を染めているのがわかった。
そこへ庭から「水柱様ー、お水ありがとうございました」と男の声が聞こえて、女は首に回していた手を解き、バッと義勇から離れた。
それに合わせて琴音も風のようにその場を離れた。ふらふらと歩きながら自室へ戻り、戸を閉める。
そのまま部屋の入り口でへたり込んだ。
身体は順調に回復してきていたのに、過去最高レベルに具合が悪くなった。
琴音はしばらくその場から動けなかった。
程なくして稽古が終わったようで、人々が帰っていく気配がした。
琴音はぼんやりとしながら机に向かった。
薬を作らねばと手を伸ばす。
しかし、何故か視界がぼやける。ぽたりぽたりと机に水が落ちることで、自分が泣いているのだと気が付いた。
きっと何か理由がある。
浮気など、決してするような人ではない。
しかし、口付けをしていたのは事実で。
その裏切りの行為を、自分はどうしたらいいのかがわからない。悲しくて苦しくて、涙が止まらなかった。
琴音が部屋で泣いていると、稽古終わりの義勇が戻ってきて、彼女を見てぎょっとした。
「おいっ!どうした!」
「……うぅ……、ひっく……」
「何を泣いている。どこか痛いのか」
「…ふっ、……うえぇん……うっく…」
「胡蝶、胡蝶の所に行くか」
義勇はおろおろと慌てている。
なんだかその姿に腹が立ってきた琴音。
……なにが『どうした』よ!あんたのせいでしょ!この馬鹿っ!
琴音は泣きながらキッと義勇を睨む。その鋭い眼光に義勇は一瞬怯んだ。
琴音は高速の平手打ちを義勇に繰り出した。だが、義勇はそれを反射的に避けて彼女の手を掴む。
それにも苛ついた琴音。
「叩かれなさいよ!」
「いや…おい……落ち着け!何を…」
「うるさい!馬鹿!大っ嫌い!!」
琴音は掴まれた手を振りほどき、義勇を飛び越えて部屋を走り出ていった。
「……は?」
ぽかんとする義勇。
だが、すぐさま飛び起きて琴音を追いかけて義勇も部屋を走り出た。