第40章 悔いのない人生を
ダンッ!と俺の黒ずんだ血とハルカの鮮やかな血が端に着いた解剖台を悔しさで殴った。その衝撃で少し空に浮いて再び解剖台に着地した物の存在を思い出して、俺はそれに手を伸ばす。彼女のスマホだ…。
暗い画面はスリープモードじゃなく、解剖台にカメラ面が向けられていたからだ……今も動画が撮られ続けていて、俺は急いでそれを停止し、これまで撮られていたものを保存した。
俺が物音が聴こえなかったあの時、ハルカがなにかをしてたのはこれか…と、彼女が誰かに託した想い。それが知りたくなって保存したてのサムネイルが真っ黒な動画を再生する。
──それはザザ…、と物音やすすり泣く彼女の生きた吐息から始まった。
生きた彼女の最期の言葉。短い時間で頭に浮かんだことを口に出すように、思い出だとか僕に直すべき所とか、未練だとか。
……愛してると言っていた。
何度も互いに面と向かって言い合って、抱き合って、ベッドの中で囁いて……少なくとも俺達の恋人からの結婚生活…いや、人生の中できっと百回は言い合ってる。いやもっとかもな。
その中でもこの耳に聴こえる"愛してる"って言葉は覚悟を決めた彼女の本音だって分かってる。
普段のハルカはふざけたり、怒ったりした時"あんた"って僕を呼ぶ。心の底から包み隠さない言葉を伝える時だけ…僕の事を"あなた"って呼ぶんだ……。
彼女の携帯画面にぱたっ、と大粒の雨が降り出した。次々とその水源は僕の頬を伝い、床にも雫を落としていく。
"これがあなたへの最期の誕生日プレゼント。約束通り、私の全てをあげる…──"
「そういう、つもりで……僕は、言ったんじゃない…」
録音された音は続く……こみ上げるような音、次にビチャ、と溢れた液体の音。人間が崩れ落ちるような音とドアの音…硝子と傑の声……。そして僕の声がようやく入り出して、それらの物音の間に僕と彼女の生と死が入れ替わったんだろう。
ハルカは何かを大切にしていた。秘密というよりもとっておきというやつ、奥の手だ。今までの術式を見るからにそれは想像しやすい。まさか彼女の極ノ番がそういうものだなんて、想像してなかった……、ある意味では最強の"呪い"だと震えるくらい悔しい。
春日の人間としての最期の犠牲に彼女はなってしまった。
俺は…僕の為に命を捧げて欲しくてそんな告白をしたんじゃねえよ……。