第40章 悔いのない人生を
『……傑さん、すこしだけ、で良いです。私と悟をふたりっきりにさせてくれませんか…?』
「……ハルカ…、」
背後の言葉には少し力の抜けたような声。
このままふたりで過ごしてたら、やがては硝子も戻ってくる。硝子にも、この思いつきみたいなものを邪魔をされたくない。
悟の冷えた腕を掴みながら私の背後で、背に触れたままの傑に声を掛け続ける。
『……残していった彼に言いたいこと、あるし…聞かれたくないし。五分とか十分とかそれくらいで良いですから、どうか、少しの時間でいいんです…私達に話し合う時間を少しだけ頂けませんか?』
──私達。
それは私と悟の夫婦の、最期の会話。会話って言ってもおしゃべりな彼からの返事なんてもちろん無い、私からの一方的な話しかけなんだけど。
「……分かったよ。ここは冷えるから、長居は禁物だよ?……悟の側に居たい気持ちは充分に分かるけれど、生きているキミが弱ってしまうことは悟も望んでないだろうしね」
悟に縋るように頭を伏せていた私は顔を上げて、携帯を取り出して。
まだ涙の溢れる瞳と濡れた頬でドアの方を向けば、鼻や目元を赤くしてる傑の背中が見えた。足音を控えめに出ていこうとしてた彼は無言で振り向き頭を下げた後、解剖室のドアを静かに締めて去っていく……。
ここにはもう、生きているのは私だけ。それから冷たくなった悟が解剖台に寝そべってる。
私の言葉はもう誰に言ってもこの空間に響くだけで悟には伝えられないでしょう。せめて、と携帯を取り出し適当に動画としてその状況を撮り始めると、そのまま解剖台の上に携帯を置く。真っ暗な画面を映しながら時間を刻むのは動画というよりも音だけを録音してるようなもの。
『やっとふたりっきりになったかあ……なんで誕生日にさ、こういう事してくれてんの?馬鹿悟……』
表情のころころと変わった彼の整った顔を見れば唇を一文字に結んだままに眠ってる。眠ってる、と言っても胸は上下することが無いんだけれどね?傷を付ける事がめったに無い頬には傷もあるし。血は赤くなくてもう黒っぽいし…。
台に両手を着いて悟のその顔を覗き込む。死んでいても、とっても綺麗な顔…。
『帰ってくるの、楽しみにしてたのにこの形での帰還は無いわー……、流石にない、冗談でも無い。二度としないでよ、死んで帰ってくるなんて最低な事……って、二度目はないか…無いよね……』