第35章 縛りの儀
『あのシートベルト、』
「必要無いです、すぐなので!」
どこかからハルカ、と声が聞こえた気がする。もう一度、ハルカって。
二度も聞こえたならばそれはきっと幻聴じゃない。昨日、そして今日と契りを皆の前で証明する式の私の相手、悟の声だ。
『悟も乗るのかな?』
振り返るとタキシード姿でこっちに向かって走ってくる悟が見えた。ガラス越しに私は彼に手を振る、遅いぞー、と。
声は届かないだろうから、窓を開けようと私側のスイッチを押すも窓は下がらない。
──運転席でロックが掛けられてる…。
「……五条悟はこの車には乗りませんよ」
ハンドルを握る男の冷静な声色。その冷静さとは反転したような荒々しいブォン!と大きく吹かしたエンジン。ギャ、とタイヤを鳴らし恐らくはアクセルを思い切り踏んだであろう男。
私は見た、追いかける新郎が必死になって手を伸ばして、この車に追いつこうとしていた瞬間を。なにかの余興じゃない、これは狙われてんだ。
こいつ危ねえ…!と身の危険を感じ逃げ出そうとドアを開けようにもロックがかかってて。開けようと何度試しても外へと開くことはなく、ドアはただの壁と化してた。外側しか開けられないようにチャイルドロックしてるんだ……!
「このまま直進先の教会倉庫へと突撃致します」
「ね?"すぐ"でしょう?」と僅かに笑みを込めた声。流れる景色は悟との式場の下見の時にデートになってしまったあの日の風景。
ああ、左手に教会が見える。締まったドアの前に私の父がそわそわしていたのが見え、大爆音を出す車に気がついて視線を向けたのが見えた。距離はもう少しあるけれど、このまま助走を付け百ウンキロという速度で突っ込まれてしまったら…。
窓を割って飛び出すには無理がある。ドアを開け放たなきゃ体に負担がかかるし、逃げ出すよりもまず衝撃に備える準備を整えるべきだ。
──防御体勢にならなきゃ。
急いで式髪を…、"怒髪天"で特に前方側にクッションになるようにと縦横無尽にたくさん伸ばした。今の私には高速での車の事故は危険、シートベルトも無しにお腹には子供が。この状態で大怪我なんて出来ないもん!
迫る硬質な倉庫。男もシートベルトをしていないのにやけに冷静にアクセルを踏み続けている。それは覚悟の決まった人間が為せる事なんでしょう…。
「……貴女には私と一緒に死んで頂きます」