第34章 その男の名は……。
私からまた下を向く悟は嬉しそうに「今、おへそ側を向いてるよっ!多分、きっと、絶対、おそらく!」とコメントに困る事を言いながら両手で私のお腹をわしわし撫でてる彼。
……こんなに喜んでる彼を今から仕事をするから、なんて理由で医務室から追い出せる…?
いつもなら『さっさと報告書でも提出してこいや』とかそんな理由で追い出せるけれど今は共に喜び合えるこの瞬間が愛おしい。この場から追い出したくない、もっと彼と一緒に居たくて……。
──確か、姉さん曰くこれから先成長していく中で、お腹の中から蹴る力も大きくなるのだと聞いた。
特に内側からの膀胱の攻撃はヤバイと言っていたっけ。そんなに乱暴してくるのか、内臓から……とこれから先を想像しながらに至近距離ではしゃぐふわふわとした白髪を見下ろす。赤ちゃんの小さな動きでこれだから、そんな内側からの暴れ馬状態になったら『ママへの暴力、反対!』つって、この人は発狂してしまうかもしれないなあ……なんてね。
蕩けそうな笑みを浮かべた悟の口元が瞬時真顔になって「あっ」と声を漏らした。
「そういえばさ、今日オマエ肉揉みの日じゃん?」
『……ブライダルエステって言えっつってんだろ、なに、私出荷でもされるんか??』
あ゙?とさっきまでの微笑ましい空気が瞬間的に砕け散った。以前にもブライダルエステを肉揉みって言ってたな…前も注意したんだけど。鬼ババアに食われる直前か?それとも注文の多い料理店の工程か?食肉加工に直通か?
鼻でフス…、と笑った悟。あ、これわざとだわ。
「仕事終わらせないと肉揉み行けなくなーい?僕運転して連れてくけどさ、遅れるなら連絡しないと!
駄目だよ?大人になって、しかも母親となるのに遅刻しちゃ。大人として人としての鑑になるように振る舞いなさい?」
『いやあ、さっすが呪術高専の教師の言葉、重みがあるわあ~!その言葉、遅刻グセ激しい旦那さんにも聞かせたいね~?』
「わー、そんな旦那さんが居るんだ~、大変だねえキミも」
『おめえだよ??ん?鏡見たことある?映るソイツだよ』
甘くてふわふわとした空気で追い出せなかったけれどこれで心置きなく追い出せるや。
ドアの外までぐいぐいと押し『ここは怪我人の為の部屋です』と何やらブーブーと文句を垂れてる悟を医務室から追い出す。やっと静かになったな…。
こうして私は怪我人を待ちながら仕事を再開した。