第70章 春十二日
「あのぉ・・・取り込み中にごめんなさい。」
いきなり声が聞こえて、身体が跳ねた。アオイはどうやら気付いていた様だ。気付いているなら、教えてくれればいいのにと思わなくもない。
「す、すみません。あの、何かご用ですか?」
「あ、あのね、髪がピンク色のおじさんが訪ねて来なかったかと思って。」
「あぁ、来ましたよ。」
ミランの顔に緊張が走る。
「どうか、どうかこの畑を売らないで欲しいの。お願いします!!」
「売りませんから、安心してください。ここは、私のお城ですから。」
「よ、良かった・・・。」
ドロスの事を聞いて、駆けつけてきたのだろう。肩で呼吸をしているミラン。
「ウチは宿屋とも提携していますから、絶対にそんな事はしませんから。」
「本当に良かった。あ、そうだった。この浅漬け、兄さんが作ったものなの。食べてもらおうと思って。」
ミランが手渡してくれたのは、芽キャベツの浅漬けだった。珍しいなぁと思いつつ、有難く受け取る。ミランは用は済んだとばかりに、急いで帰って行った。
「莉緖、宿屋に行く?」
「うん。」
貰った浅漬けを冷蔵庫に入れてから、手土産の果物ジュースを持ってはアオイと宿屋へと向かった。
道すがら、私たちを見た住人や観光客から微笑ましそうな眼差しと羨望と嫉妬の混ざった眼差しを集めた。確かに、アオイは目を引く容姿をしている。
チラッとアオイを見上げると、バッチリとアオイの視線と合わさった。まさか、アオイが私を見ていたなんて気付きもしなかった。
「ど、どうかした?」
「うん?今日も可愛いなぁって見てただけ。」
「なっ!?も、もうっ、そんな風に揶揄うなんて。」
本当は全然怒ってなんかいない。ただ、気恥ずかしいだけだ。だって、慣れていないんだもの。それに、繋いだ手は所謂恋人繋ぎだし。
「ねぇ、莉緖。」
「何?」
「少しだけでいいから、抱き締めていい?あわよくば・・・キスもしたいかも?」
どんなにいい笑顔で言われても却下だ、却下。何故、こんな往来でそんな恥ずかしい事をしなければならないのだ。でも、アオイが視線を向けた先を追って目を向けて固まった私。
あれは、観光客だろうか。旅先で盛り上がったのか、熱い抱擁とキスシーンを繰り出している。アオイはあれを見て、感化されたのかもしれない。