第9章 愛はお金で買えますか
「・・・・・・」
私の呼びかけに、バーボンはピタリと足を止めた。
止めてくれると思っていなかった私の脳は、追いかけていた自身の体を止める信号が遅れてしまって。
「す、すみませ・・・っ」
勢いのまま軽く彼の体にぶつかってしまうと、慌てて半歩、身を引いて彼を見上げた。
足を止めてはくれたが、依然として顔はこちらに向けてくれない。
彼がどんな表情をしているのか。
その時は読み取れなくて。
「ひなたさん」
私の名前を呼ぶその声は、バーボンと言うには張りが無い。
どちらかというと、安室透。
けれど、愁いを帯びているその声色のせいか、どちらでもない彼に感じられた。
「は、はい」
何を・・・言われるのだろう。
自分がここにいる意味さえ分かっていない私に、彼はどんな言葉をかけるのか。
どこか怯えに似た感情の中、彼はようやくこちらに顔を向けた。
「・・・!」
その時の表情を、私は一生忘れることがないだろう。
それ程、私にとって衝撃的なものだった。
「あの男には、自分から触れられるんですね」
どうして、そんなにも・・・悲しい顔をするのか。
組織にいる頃の、バーボンと名乗る彼は。
いつも余裕に満ちた表情で、冷静に物事をこなし、何を考えているのか悟らせない笑みを浮かべていて。
安室透として再会してからも。
何を考えているのか分からない笑みは変わらず、それでも冷静さは隠した表情をしていた。
沖矢さんに対して、苛立ちや怒りのそれを作ることはあったが、感情がそのまま顔に出ることは、殆ど無い。
そんな彼が、今。
私の前で、泣き出しそうにも見える表情を見せるのだから。
言葉を失わないはずがなくて。