第5章 笑顔と泣顔が行着く先※
「・・・そんなの、沖矢さんと約束なんてできません」
赤井さんならともかく、彼に言われる筋合いはない。
そもそも、こんなものいつまでも捨てられずに特別感を持たせているのがおかしい。
私のそれに大した意味も価値も無いのだから。
「ええ」
私の返事に、彼は何故か笑顔を向け、一言そう言ってみせた。
会話になっていないようなその返事に、一瞬で頭の中は疑問符だらけになってしまって。
「っ・・・!」
その隙を狙ってかは知らないが、僅かに油断した瞬間に、彼の手は首筋に当てられていて。
先程までとは違う緊張感に、体は無条件に身構えた。
ただ、手の掛け方がまるでそこを締め上げるようなものだったにも関わらず、殺気がほんの少しも無いことに、頭は混乱していて。
「この辺り、でしたね」
彼の指の感触だけが妙に伝わって来る中、耳元で囁くように言われたその言葉と彼の指の位置から、瞬時に何のことか察しがついた。
「以前、彼に付けられていたのは」
「やめ・・・っ」
・・・ようやく消えた、安室さんに付けられたキスの痕。
そこに沖矢さんの顔が近づいてきて。
また、新たに付けられると体が拒絶反応を起こして。
思わず押し退けるように強めに体を押した。
「大丈夫、つけませんよ」
それなりに力は込めていたのに、私の力なんて微塵もきかないと言わんばかりに、強引に体を近付けられた。
「おき、や・・・さ・・・っ」
「力は抜いて、楽にしていてください」
言い終わるか否か。
首筋に近付けられた彼の顔は、すぐ側にやってきて。
彼の唇が優しく、安室さんに付けられたキスマークがあった辺りに触れた。
触れた、だけなのに。
体は不思議と体温が上がるように熱くなって。
自分の意識とは反して、力はスルリと抜けていった。