第5章 笑顔と泣顔が行着く先※
「着れましたか?」
シャワー後、彼の待つ部屋へと静かに入って。
ドアは開いていた。
けれど彼が気付いているかは不確かだった。
そんな部屋に一歩入った瞬間、背中を私に向けた状態のまま、彼は私に声を掛けてきて。
無防備な状態のまま言われた為、必要以上に驚いてしまった。
「・・・着れていなかったら、来ませんよ」
一応、気配は消していたつもりなのに。
やはり、只者ではないことは確かなようだ。
「それもそうですね」
窓の外を見ていたのか、その傍に立っていた彼はこちらを振り返ると、僅かな月明かりに横顔を照らされた。
そのまま近くのベッドへと静かに腰掛けると、そこへ呼ぶように優しく数回ベッドを叩いた。
「・・・・・・」
まるでペットの犬でも呼ぶように。
その行為に眉の皺を深めながらも、大人しく指示に従った。
「まずはリラックス、ですね」
触れますよ、と前置きをした後、彼は私の肩へと手を置いた。
そして優しく指を押し込むように肩を揉むと、私の無意識に入れられた力を抜き始めて。
「ひなたさんは、好きな食べ物はありますか?」
「?」
初めてのあの日ほど、緊張感は無い。
やはり彼相手なら、かなりマシなようで。
こうして背を向けることすら嫌だったのに、今では何の抵抗もないまま、無意味とも思える会話をするまでになっていた。
「関係ない話をしていた方が、リラックスできますよ」
成程、と思いつつも、本当に関係の無い話なのだな、と僅かに背後に向けていた視線を元に戻して。
「・・・別に、食べ物に拘ったことはありません」
安全に口に入るものであれば、何だって良い。
今はその基準が少し、下がりつつあるけど。
・・・ああ、でも。
「・・・紅茶は、好き・・・です」
食べ物ではないが、唯一、安心する飲み物はあった。
普段、そんな話はしないのに。
彼相手だからなのか、零すように本音を答えてしまった。