第5章 笑顔と泣顔が行着く先※
「あの人、は?」
・・・ダメだ。
「な、何でもないです・・・。早く開店準備始めましょう」
何も、言えない。
あの男は私を利用したのだから、私も利用してやれば良いのに。
何故か一歩が踏み出せなくて。
沖矢さんのことを・・・話してはいけない気がして。
その日は無理に誤魔化しながら、夕方までの仕事を終えた。
ー
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
先に時間になった安室さんは、店の片付けをする私に近寄っては、そう挨拶をしてきて。
「・・・ひなたさん」
やはり、タダでは帰らないか。
何か言いたげな雰囲気を出していることには、気が付いていたから。
これから朝誤魔化した問い詰めが始まるのだろうな、と思っていると。
「・・・今度、僕とも出かけて頂けませんか」
思っていた言葉の少し斜め上のことを告げられた。
そもそも“も”とは言われたくない。
沖矢さんとは、出掛けたくて出掛けた訳ではない。
連れて行かれた、というのが正しい気はしているが、それをわざわざ言う必要も無いだろうと、彼に体の正面を向けた。
「どこに・・・ですか?」
・・・組織としての強行手段なのか。
それとも、単純に安室透としての誘いなのか。
場所で多少探っておきたかったけれど。
「秘密、です」
それすらもさせてもらえないという事は。
ただのお出掛け・・・という訳ではなさそうだ。
ーー
あれから数日後。
何故か私は安室さんの車に乗って伊豆高原へと向かっていた。
行き先を告げられたのは車に乗る直前、そしてそこに向かう目的は、つい先程聞かされた。
「すみません。テニス、お嫌いでしたか?」
「あ、いえ・・・そういう訳では・・・」
目的を聞かされ黙ってしまった私に彼は、何の裏も無さそうな態度で、そう尋ねてきた。
「・・・・・・」
伊豆で、テニス。
全く意図が分からず、思考が止まってしまった。
いや、意図なんて無いのかもしれないが。