第5章 笑顔と泣顔が行着く先※
「そうですね、失礼しました」
私の視線の訴えが届いたのかは分からないが、彼は案外あっさりと身を引いて。
言い寄ってくる割に自分を使えば良いと言ったり、こういった行動をしたり、やはり掴めない男だ。
僅かに目を伏せながらそんな事を薄ら考えていると、彼は徐ろに離された距離を埋め、私の耳元へと手を当てて顔を近付けて。
「今夜もお待ちしております」
「!!」
そう小さく耳元で囁かれたせいで、ゾクッと背中に何かが走った。
思わず違和感の残る耳を手で塞ぐと、彼は再び距離を離しながらクスッと笑って。
その一連の流れを見ていた安室さんは、咄嗟の行動だったのか、私の肩に乗せていた手の力を強めると抱き締めるように私を引き寄せた。
「では、僕はこれで」
余裕そうな態度で彼は体を反転させると、そのままポアロを後にしてしまって。
「・・・・・・」
何が起きたのか分からない。
さっきまでの状況も、今の状況も。
結局、沖矢昴は何をしにここへ来たのか。
安室透は、何故私を抱き寄せているのか。
思考力の無くなった脳内は、ただ疑問符を詰め込む以外できなくなっていて。
「・・・ベルツリー急行も、彼とですか?」
「!」
そんな中、私を抱き寄せたまま安室さんは徐ろに一つの質問をしてきた。
「・・・・・・」
も、と言うことは、昨日の夜は沖矢さんと過ごしたということを信じたのか。
ミステリートレインのことは誤魔化すつもりでいたが・・・こうなっては難しいだろうか。
「彼とは、そういう仲に?」
「ち、ちが・・・!」
そう迷い、答えを出し損ねていると、彼は更に質問を重ねた。
それにすかさず返事をしてしまえば、逆に怪しさを増してしまって。
「・・・ッ」
沖矢さんを、どう説明するのが正解なのだろう。
こういう事も、自分で判断して彼を使うぐらいでなければならないと、思っているのに。
「あの人は・・・」
体だけの関係・・・というのは概ね事実だが、そんな事言える訳もなくて。