第36章 聞こえない音 お相手:宇髄天元
次の日
言っていた通りに宇髄さんは来なかった
でも 今はそれが逆にありがたいと
私はそう思って居て
体調は悪くない 身体は何ともない
なのに いつもならあれだけ
体調が悪くても弾きたいって思ってる
ピアノを…体調が悪くないのにも
関わらずに 弾きたいって気持ちがなくて
心のない からっぽな
決められた音を決められたリズムで
なぞるだけの 無機質な音を奏でて居た
自分の耳にもそれは聞き取れていて
酷いピアノだと そう思ってしまった
からっぽで何の中身もない
無意味な事の様に感じてしまって
虚しさが募る
会いたい…そう思うと
少しだけ その無機質な音に
色が付くのを感じる
でも そう思うと同時に
会いたくない…とも 思ってしまう
その途端に 音から色が消え失せて
無機質な音に戻るのだ
演奏していた手を止めて
みくりがピアノの上に頬を乗せた
大凡ピアノを弾くのとは程遠い様に
右手の人差し指だけで
鍵盤を叩いて行く
♪~ ♪…♫
たどたどしい 曲と言うには
拙すぎるそれは
初めて自分がピアノに触れた時の
その記憶を呼び起こしてくれる
魔法 みたいだと思ったんだ…
この白と黒の世界を連ねるだけで
極彩色の世界が無限にも奏でられるのだから
その時の衝撃と
宇髄さんは 似てる
魔法みたいだ…
色のない狭い世界に居た私を
広い世界に連れ出して
鮮やかな色を一瞬にして彩るのだから
魔法使い以外の何者でもなかった
きっと 私の心にあるのは
”恐れ”と言う感情なのだろう
それが 一時の夢だとしても
その夢の結末ばかり 考えて
夢を見始める事にすら 恐れている
始めもしていない
始まりもしていない
この恋に… 恐れしか抱けなくて
「弾けない…よ、弾けない…
こんなの、…苦しいだけッ…」
ーじゃあさ、ぶつけてみればいいくね?ー
声が聞こえた様な気がした
宇髄さんの声が
いや 居ないんだから 気のせいなんだけど
ぶつける?
何に?何を?ぶつけるの?
ぶつける… ぶつけてもいい?
この行き場のない感情を?
みくりが体勢を整えて姿勢を正すと
すっと鍵盤の上に指を構え直して
瞼を閉じて意識を集中する