第36章 聞こえない音 お相手:宇髄天元
次の日……
いつも通りの同じ時間
みくりはその日も
同じようにピアノの前に座っていた
肘の辺りに今日は違和感を感じる
痛みとも 震えとも
痺れとも違う……
でも 痛い訳じゃない……
今日は弾ける……そんな予感がして
みくりはピアノの演奏を始めた
屋敷の中にみくりの奏でる
ピアノの音が聞こえていて
下の居間で 午後のティータイムをしていた
父親の小野寺 輝義が
そのソーサーを傾けていた
手を止めて 天井を見上げると
焼きたてのスコーンや
サンドイッチの乗った
アフタヌーンティースタンドを
美咲は輝義の前に置いた
「ご主人様……、どうぞ。
本日のスコーンのジャムは
ブルーベリーにあります」
「美咲。今日は随分と…
みくりの調子がいい様だね。
この前のピアノとは、別人の様だよ……。
まるで、あの頃の様だ……病気になる前の」
確かに 今日のお嬢様の
ピアノは…大会の舞台でも
通用する演奏だった
だが… 私には
お嬢様が…ご自身の命を削って
弾いている……様にしか聴こえず
その音はまるで……
魂の叫びか 何かの様にも聞こえる
「美咲は…、どうしたい?」
そう輝義に問いかけられる
その問いの 意味する所は…
近い将来 お嬢様が亡くなった後…の
私の身の振り様についての質問だった
「私は……、その時が来たら……。
このお屋敷を出ようと、そう思って居ます。
ご主人様にも、大変良くして頂いて…、
感謝しております。私の様な、自分の
名前も、記憶も無くした得体の知れない女を。
こうして、屋敷に置いて頂いてるのですから」
「そうかい…、その時は
美咲の好きにするといい……。
私は、美咲の考えを尊重したいからね」
その輝義の言葉に
美咲が深々と頭を下げた
この黒と白の鍵盤……が並ぶ
そのひとつひとつが音を
自分の色の様に持っている
ひとつひとつの音が異なっていて
それが当たり前ではあるが
その順番 組み合わせ…それで
その色は幾らでも 彩りを持って
そして 無限の世界を奏でて行くのだ
これほど不思議な世界があるのだろうか…?
数百年以上前の譜面も
何ら色褪せる事もなく
今に蘇るのだ 数百年の時を超えて
そして それは… この先にもずっと…
続いて行くのだから…