第3章 くじら
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音駒の門を抜けたところで、つま先に何かが当たった。
しゃがんで見てみると
シャンプーかボディソープか何かわからないが
小さなボトルに入れ替えられた風呂で使う何かだということはわかった。
誰かの落とし物か…
横を見ると他にもいくつか落ちている。
しゃがんだまま移動して、一つずつ拾っていく。
ふわっと、馴染みのある香りが香った気がした。
…ゼラニウムとイランイラン、だったかな。
いつも、穂波ちゃんの髪から漂ってくる華やかさと爽やかさが混ざった甘い香り。
よくわからない、よくわからないが、目頭が熱くなった。
何かが込み上げた。
何だこれ。 俺は一体何に、泣きそうになってる?
意味がわからず咄嗟に目を抑えた。
今この涙は流したくない、と思った。
その涙の正体が捉えきれてないのに、泣くわけにはいかない、と。
『…京治くん? 大丈夫?』
大好きな人の、声がする。
ぼーっとしすぎて幻聴でも聞こえたか。
『ごめんね、わたし落っことしちゃって。そしたら、転がっていっちゃったの。
拾ってくれてありがとう。 …京治くん、立ちくらみ? 大丈夫?』
ふっと肩に何かが当たる。
そして、先程の香りが一層濃く鼻腔を掠める。
顔を上げるとそこには穂波ちゃんがいて。
俺に目線を合わせるためかしゃがんで俺の肩に手を添え、
首を傾げて俺のことをじっと見ている。
俺のことを心配してくれてるからか笑顔ではないが
いつもと変わらない声色、空気。
幻聴でも、幻覚でもなさそうだ。
「…あぁ、大丈夫だよ。ちょっと、思い出すことがあって」
『…そっか、いろいろあるよね。夏の夜って、魔法みたいだよね』
「…夏の夜が、魔法?」
『なんか、そう思う。大丈夫ならよかった。今から戻るの?』
「あぁ、うん。穂波ちゃんも、かな?」
門のそばに孤爪が立ってるのが目に入る。
別段、変わった気配などもなく、いつもの調子で。
肩の力を抜いて、そこにいる。
『うん、わたしたちも。じゃあ、一緒に戻ろう?シャンプーとか受け取るね、ありがとう』
穂波ちゃんはそう言うと
ふわっといつもの綺麗な顔で笑った。