第38章 牛鍋とすき焼きと胸の外と内 後編
むう これは弱った…な
「お願い…したいのですが。
杏寿郎。その…ぉ、
どうしても…ダメ、でしょうか?
私のお願いは、
聞き入れては頂けませんか?」
甘えて来るようなそんな
若干舌足らずな甘さのある声で
普段は出さない様な
そんな声色を使って
あげはが俺に訴えかけて来て
ぐらっと 自分の中で
何かが揺らぐようなそんな
感覚を覚えてしまった
その体勢で
そんな目をしながら
そんな声で…
強請って来る…のか
そんな 内容を…
可愛さ余って憎さ百倍とは
良く言った言葉だな 全く
「うっ、それは…あげは。
卑怯だと思うぞ?この期に及んで、
俺の情に訴え掛ける様な真似までして。
まさか、色仕掛け…で来るとは…。
俺も、思っては居なかったが。
うっかりほだされる所だった。
君は、俺に恰好のひとつも
つけさせてもくれないのか?」
「それには、心配は及びませんよ。
わざわざ、恰好をつけて頂かずとも。
結構にありますから。
だって、杏寿郎はいつも、
格好いいですからね。
その様な当たり前の事を言って頂いても、
私は騙されませんからね?
杏寿郎は、そんな事しなくたって
恰好いいです…よ?
良く、存じておりますから」
つんと拗ねた様な顔をしていたと
思って居たら
今度はふんわりと
あげはが微笑み掛けて来て
先程までの確信犯の犯行ではない事は
その口調と表情を見れば
杏寿郎にも分かる事だったので
その言動は
彼女の俺に対する本心であるのだが
それが 彼女の本心であるのならば…ッ
よもや よもやだ
俺としては両手放しで喜びたい
所ではあるのだが…ぐっと
その感情を胸の奥へ押さえ込んで
「……--っ。あげはッ。
ここは往来の真ん中だ…。
俺が言いたい事は分かるな?」
自分の口を自分の手で覆いながら
視線を逸らせながらも
堪える様にして杏寿郎がそう言って来て
その手の下の顔が少し赤らんでいて
その普段 気の抜けた様な
隙らしい隙を見せない彼の
20歳の青年らしい姿に
思わず ドキリと胸が跳ねてしまった