第37章 牛鍋とすき焼きと胸の外と内 前編
「つまり、脳には何を記憶に
残すのかを、自然に選択する
機能が備わっているんです」
「だが、だったら…忘れたくないと
そう思う記憶は何故薄れる?」
「大事な記憶に限って…そう感じるのは、
どうでもいい事を忘れると同じように
大事な事も忘れてるからですよ。
その記憶を留めたいと思うから…
その記憶が薄れていると、感じるのです。
記憶は零れてるのです、生きているだけで
新しい記憶と入れ替わり
どんどんと溢れ、失われて行くのです」
それが 失われゆくのを
止める事は出来ないのだと
そう 彼女が言っていた
過去に囚われないで
前に進む その為の 仕組みなのかも
知れないが……
そうか 恐れているのだな
あげはは 失う前から
その記憶すらが 薄れるのを…
自らの中にある その大切な人達との記憶が
自分の中で薄れて行く様にして
また 彼の記憶が
失われるのを恐れているのか
「君が失う様に、
俺もまた、失っていくのだろうが。
俺も、彼を憶えているつもりだが?」
「杏寿郎…」
「俺は彼を忘れていいとは思えないし、
忘れてしまいたくない。その想いは
俺も、君と同じだ。忘れてしまえば
楽かも知れんが、俺はそうは思わない」
「杏寿郎なら、そう言ってくれると
そう信じておりました。私も
その覚悟を決めております、迷いません」
針の筵(むしろ)か
茨の道か…
だが 君となら 乗り越える
共に歩んで行ける
そう思うのは 何故だろうか
「杏寿郎、私を
貴方と共に在らせて下さい。
遅れを取るつもりはありません。
貴方と同じ速さで歩みます」
「それを選んだのは、あげは。
君だけではない。その道は、
俺と君が選んだんだ。共に行こう」
彼女が 大和撫子であるのならば
俺の三歩後ろを歩くのだろうが
俺と同じ速度で歩みたいと…
そう言って来るのは
何とも 俺のあげはらしい