第60章 気遣いと気遣い 後編
”死なないで”
”生きて戻って来て”
と言う 気持ちの表れでしかなくて
あの父上が それをしたがる程に
姉上と兄上が戦おうとしている相手は
強い 鬼なのだと千寿郎にも分かる
「あのね、
千寿郎君。聞いてくれるかな?
私ね、沢山…あっちこっちで
約束して来てるんだ、
この戦いがね、終わった後の約束。
その約束のね、ひとつひとつがね
私の中で力になるの。
私の何があっても、
死ねない理由になるから」
ギュッとあげはが両手で
千寿郎の手を握ると
「だからね、千寿郎君とも約束させて?
千寿郎君との約束も、私の力にしたいから」
「あ、姉上…、どうか、
何があっても必ず。兄上と共に
こちらにお戻り下さい。絶対に」
その千寿郎の言葉を噛みしめる
一番 素直な程に 死なないでの
気持ちに溢れた言葉を
自分の胸に刻むようにして…
「うん、絶対…戻って来るね。約束」
そう言って その人が
こちらへ向けて来た笑顔は
死ぬかもしれない 戦いに
赴こうとしている人の見せる
笑顔なんかじゃなくて
そう言ってあげはが
千寿郎に自分の右手の小指を差し出して
「約束ね?」
千寿郎が その小指に自分の小指を絡めた
「はい、約束にあります」
ーーー
ーー
ー
槇寿郎は自分のお猪口に
空の月を落として
その自分の手元の月を眺めていた
縁側で2人
肩を並べて 酒を酌み交わす
杏寿郎に櫛を渡した
あの夜と同じ様にして
「時に杏寿郎…、お前、あの時
俺が渡した櫛はあげはに渡したのか?」
「あの櫛は、母上からあげはにと
お預かりして頂いていた物。
俺から、あげはには必ず渡します。
父上にご心配して頂かずとも、
俺はそれを忘れてはおりませんし。
来るべき日の前には渡すつもりです」
渡し損ねる事は無いと言いたげに
槇寿郎の問いに対して杏寿郎が答えた
「それに、父上。昨日も俺に
同じ事を
お尋ねになられませんでしたか?」