第54章 忘却の果ての追憶
あげはが髪が乱れない様に
自分の手で押さえながら
静かな 波の無い湖の水面を
目を細めてぼんやりと眺めていた
この辺りの景色を
自分の記憶にある景色と
重ねているのだろう
杏寿郎の記憶が蘇って来る
彼女が幼少期を過ごして
そして 12歳の時にここで
出会ったのだ 三上透真と
「ここに来て、不意に
思い出した…、話なのでありますが」
その静かに陽光を受けて煌めく
湖の水面をあげはが遠い目で眺めながら
ある話をし始めた
「思い出した話?何だ?」
「私が、彼と、三上透真さんと初めて
出会ったのは…あの12歳の夜の
時ではありませんでした。
私は、どうやら…それよりも前に
彼を知って居た様にあります…」
そう何とも言えない
自分の事でありながら
どこか他人ごとの様な
その他人行儀な言い方が引っかかった
まるで 今の今まで
それを忘れていた…かの様な
そんな言い方に聞こえる
不意にあげはが
顔を上げて 身体をある方へと向けると
そのまま 何も言わずに歩き始めて
杏寿郎も分からぬままに その後を追う
あげははどこかを目指していて
真っすぐに進んで行く
「あげは…?突然どうしたんだ?
どこへ向かっている?」
そう杏寿郎が声を掛けるも
彼女の耳には入っておらず
杏寿郎の言葉は
まるで 聞こえていない様子で
そのあげはの足取りには迷いが無い
「こっち…」
と あげはがある方向を指差して
何かに引き寄せられている様に
ズンズンと進んで行く
鬱蒼とした木々が生い茂る
薄暗い 森の中に
突如として
視界が開けると
そこだけに 上から木漏れ日が差し込む
ちょっとした開けた場所に出て
どこからか 僅かに
水の流れる音が聞こえる
一面は ふわふわと
緑の絨毯を敷き詰めた様に
苔が覆い尽くしていて
ここだけが 他の場所から
切り離されているかの様な
そんな 独特な空気を持った
不思議な場所な様に
杏寿郎の目には映った