第11章 7-3. 咬魚の誘惑 後編
手で拭うとグローブに血がついてしまう。血は洗ってもなかなか取れない。
殴っても倒れるどころか、更に煽るようなことを口にするシェラに違反者達は僅かに狼狽する。
が、振り上げた拳の落とし所が分からない獣人属でない方の違反者は、シェラの胸ぐらを掴むと恫喝し始めた。
「てめぇ……!1年のくせに……っ!!」
「手をお離しください」
胸ぐらを掴まれても全く動じないシェラは、抑揚なくただ手を離せと言うだけ。
呆れたように半眼になったシェラの瞳が、紅く仄暗く揺らめく。
「あぁ!?」
「お、おい……お前、これ以上は……」
シェラの態度がどうしても気に入らない違反者は更に声を張り上げた。
もうひとりの獣人属の違反者の方は、連れが女子であるシェラを殴ったことで多少目が覚めたのか、焦って止めようとしている。
他の客は、この後シェラがどうするのか、固唾を飲んで見守っている。
「聞こえませんでしたか。もう一度言います。次はありません。手を、お離しください」
最終通告です、と言わんばかりにシェラは淡々と告げる。
出来れば穏便にことを済ますつもりではいた。
しかし、〝致し方ない〟場合もある。
「何が次はありませんだ!!もう1発殴られてぇのか!?」
シェラの蔑んだような視線と口調に腸が煮えくり返った違反者は、胸ぐらを掴んでいない左手を振りかぶる。
シェラは小さく溜息をついた。
まったく、ここまで言葉が伝わらないとは。
穏便に済ます努力はした。
しかし伝わらないとなれば、これは〝致し方がない〟。
「まったく、残念です」
シェラは一言残すと、違反者の右肘あたりを左手で掴んだ。
「!?」
突然のことに怯んだ相手の右腕を、左手でそのまま力強く自分の方へ引き、シェラは相手に背を向けるようにしてくるりと回りつつ腰を落として重心を下げる。
そして自身の右腕を、胸ぐらを掴む相手の腕の下に潜らせ、相手の腕を固定する。すると、違反者の身体が浮いた。
「……!!」
そのままお辞儀をするように勢いよく前へ身体を倒し、豪快に相手を投げ飛ばした。
近くで見ていた寮生は後で言った。その瞬間、シェラの黒真珠の瞳が紅く見えたと。
身体が床に叩きつけられる大きな音が、モストロ・ラウンジのホール内に響く。