第11章 7-3. 咬魚の誘惑 後編
教えつつ、シェラを背に庇うように一歩前に出る。
見上げたルカの顔からは普段の柔和な笑顔が消えていた。
顔を見ただけで来店客が契約違反者だと分かるとは、ルカもちゃんと教育されたオクタヴィネル生だった。
「お客様、失礼ですがどのようなご用件で?」
男子の中では小柄で細身なルカは、ややひ弱な印象が拭いきれないが、それでも契約違反者に対して丁寧かつ毅然とした態度で向かう。
「契約についてだよ!!契約について、あのインチキ野郎に話があんだよ!!」
「早くしろ!!」
それにしても物凄い剣幕だ。目が鬼のようにつり上がっている。
(インチキ野郎……)
シェラは怒声に怯えることなく冷静に状況を分析する。
シェラはいちアルバイトであって、オクタヴィネル寮生ではないから、アズールが彼らとどんな契約を交わしたのかは知らない。
不当な契約条件を突きつけられた結果怒っているのか、それとも一方的に難癖をつけているのか、シェラには判断つかない。
それでも、こうしてモストロ・ラウンジに怒鳴り込んでくるという行動を考えれば後者のような気がする。
そもそも契約条件が不当であれば、契約を交わす前に確認すべきだろう。
(やっぱり考えがオクタヴィネルに染まりつつあるかも……)
怒りに身を任せて冷静さを欠いている人間は何をするかわからない。だから警戒するに越したことはない。
シェラはルカの後ろで、グローブの下に嵌めた力の指輪に触れる。
ルカは半ばクレーマーのようになっている契約違反者へ、臆することなく更に訊く。
「支配人と会うお約束はされていますか?」
「んだよ!めんどくせぇな、そんなのどーでもいいから早く呼んでこい!」
煩い怒鳴り声にシェラはだんだん苛立ってきた。
こういった品の無い客の対処もまた、給仕スタッフの仕事のうちだと雇用契約の際に言われている。
時給分はきちんと仕事をしようと、シェラは人知れず臨戦態勢に入る。
ジェイドとフロイドを呼びに行った方がいいかとも考えたが、それが必要なら他の寮生の誰かがもう呼びに行っているだろう。
「あいにく、本日支配人は所用につき、お約束した方以外とお会いすることが出来かねます。契約については後日こちらからお伺いに参りますので、本日はお引き取りいただけますでしょうか?」