第11章 7-3. 咬魚の誘惑 後編
寮生がそう報告した瞬間、その場の空気が氷点下まで下がった。
「はァ……?」
恐ろしい怒気を含んだ、地を這うような低い声。
今まで何も言わずに話を聞いていたフロイドがいち早く反応した。
フロイドは立ち上がると、脱いでいたジャケットに袖を通しハットを被る。
ジェイドも無言でフロイドと同じようにハットを被った。
ジェイドとフロイドの瞳には、激しい怒りの炎が揺らめいている。
冷たい殺気を纏うふたりのあまりの迫力に、ルカと、後から駆け込んできた寮生は、小さく上擦った声をあげた。
「女性に手を上げるだなんて言語道断だ。ジェイド、フロイド、今すぐその野蛮な契約違反者をつまみ出してきなさい」
既にシェラに危害を加えた契約違反者を絞め上げる気でいるジェイドとフロイドを焚きつけるように、アズールは命じた。
「はい」
「はぁい」
双子のウツボの人魚という名の怪物共は、アズールの命に振り返らずに返事をする。
ニイッ、と口角を上げ牙見せる笑顔を浮かべると、尖った靴音を鳴らしてモストロ・ラウンジのホールへ大股で向かった。
◇ ◇ ◇
事件は、ほんの数分前に遡る。
総合文化祭を1週間後に控えた今日は、モストロ・ラウンジの客足も落ち着いていた。
シェラもルカも、担当していたテーブルの客が帰り、次の来客があるまで入口付近で待機していた。
ただ突っ立って来客を待っていても暇だから、シェラとルカは他の給仕の寮生に咎められない程度に小声でおしゃべりをしていた。
こういうときにクラスメイトがいると、共通の話題があって助かる。
「シェラちゃん今日も体術の授業すごかったね」
ルカは人の良い柔らかな笑顔を浮かべながらシェラを褒めた。
話題は、今日の4時限目の体術の授業のこと。
「……ありがとう」
抑揚なく淡々とシェラはお礼を言う。
運動が得意なシェラは体力育成の授業で輝くが、それ以上に本領を発揮するのは近接格闘術を主体とする体術の授業だった。
元の世界で武術や護身術を叩き込まれていたお陰で、ルカがすごいと褒めたようにある程度体格差がある相手でも実技で負けることはない。
魔法士養成学校のカリキュラムになぜ格闘術の授業があるのか入学当初は謎だったが、魔法を封じ込められた時に何も出来ないのでは話にならないという理由を聞いて納得した。