第10章 7-2. 咬魚の誘惑 中編
「お忙しいところ失礼します」
「いえ、どうしました?」
アズールは書類から顔を上げてシェラを見る。
眼鏡の奥の女性的な美しい目元には、僅かに疲れが見え隠れしている。
アズールが忙しそうにしている理由について、シェラは心当たりがあった。
シェラはアズールの元へ歩み寄る。
「ひとつご報告があって来ました」
「?報告、とは?」
アズールは手を止めた。
ちらりとみたアズールのデスクには、大量の発注書とイベントの運営企画書があった。
「あの、私、今年のVDCに出場するNRCトライブのマネージャーに選ばれてしまいました」
VDCとは、ボーカル&ダンスチャンピオンシップのことで、来月に行われる全国魔法士養成学校総合文化祭のメインイベントとなっている。
NRCトライブとは、そのVDCに出場する選抜メンバーのこと。
シェラはことの経緯をアズールに伝える。
ポムフィオーレ寮長のヴィル・シェーンハイトがNRCトライブのリーダーであること。
エース達がVDC出場選抜メンバーに選ばれたこと。
VDC本番までの4週間、強化合宿を行うこと。
そしてその合宿場所に、メンバーの所属寮がバラバラでポムフィオーレ寮で合宿を行うと他寮の生徒がアウェイになるからという理由で、クロウリーの鶴の一声でオンボロ寮が選ばれたこと。
オンボロ寮が選ばれたことによって、シェラがチームのマネージャーに決まったこと。
「最初は断ろうと思いましたが、学園長に未だに不便な水周りをリフォームしてもらうことを対価に引き受けることにしました」
引き受けた、というよりクロウリーに丸め込まれたという方が正しいかもしれない。
相変わらずクロウリーはシェラにたくさんの面倒事を押し付けてくる。
しかし今回はオンボロ寮の水回りのリフォーム付きだから、シェラにとっても利がある。
もともとシェラは損得勘定で動く人間ではないが、寮の空き部屋を提供することで水回りが便利になることはシェラやグリムからすると全く悪い話というわけでもない。
「ほう。……素晴らしい!シェラさんもやっと、なにかを引き受けるには対価を提示するようになったのですね!僕達オクタヴィネルの考えに共感いただけているようで何よりです」
(いや、私から提示したわけではないんだけどな……)