第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
〝叶うといいですね〟
そう言おうと思ったのに、どうしても喉元で言葉がつっかえて出てこなかった。
フロイドは抱き枕を脇によけ、ジェイドを見る。
それを見逃すほど、フロイドは鈍感ではない。
生まれてからずっと一緒に過ごしているのだから、ジェイドがそうであるようにフロイドもまた、兄弟の些細な感情の変化に聡いのは同じだった。
「ジェイドも小エビちゃんのこと好きなの?」
ただ、フロイドはジェイドと違って、まわりくどい言い方や婉曲的な表現はしない。
直接的すぎる問いかけに、ジェイドの瞳に深海を彷彿とさせる暗さが宿る。
(僕は、シェラさんのことが――……)
好きだ。
ゆっくりと息を吐きながら目を閉じ、開く。
フロイドの問いかけに否定も肯定もせずジェイドは振り返ると、自分とは左右の虹彩の色が反対の瞳と目が合った。
ゴールドとオリーブの瞳は、まっすぐにジェイドを見つめている。
「わりーけど、たとえジェイドでも小エビちゃんのこと、譲るつもりはねぇから」
それは、フロイドからの宣戦布告だと、ジェイドは思った。
怒ったように威嚇をするのではなく、真剣なまなざしで、しかとジェイドを見据えるフロイド。
語気が強く、一切の迷いも感じられない。
ジェイドの瞳が、すーっと本来の色に戻る。
海ではひとりの雌を巡って複数の雄が争うのはよくあること。
ジェイドがシェラのことが好きだと認めたとして、フロイドはそれを咎めたりはしないだろう。
ひとが誰かに恋をすることに、順番なんてものは関係ない。
誰が誰のことを好きになろうが、それは本人の自由であるから。
「まさか。シェラさんは貴方の想い人でしょう」
ジェイドはおどけたように冗談でしょうと嘯いた。
シェラは、兄弟の――フロイドの想い人だ。
それも、本気で番になってほしいと思っている。
待っている結末は無慈悲な別れであるのに、だ。
そして、シェラの想い人は――……。
「僕の出る幕など、ありません」
そう、ジェイドは静かに言った。
フロイドに、そして自分自身に。
聡い彼女は、きっと自分が辿ることになる運命を理解している。
それでもシェラの心にはフロイドがいる。
どんな手を使ってでもシェラを自分のものにしたい気持ちもあるが、それはシェラの幸せに繋がらない。