第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
軽装になったシェラはソファでもう一休みしていると、乾いた靴音がひとつシェラへ向かってきていることに気づいた。
シェラはそちらへ視線をやると、やって来たのはアズールだった。しかも、なにやらすこぶる機嫌良さげだ。
「お疲れ様です、シェラさん」
「お疲れ様です」
美しい顔に上機嫌な笑顔をたたえたアズールは、元の美形に更に磨きがかかっていた。
なぜそんなに上機嫌なのか分からないシェラは、表情に出さない程度に訝しむ。
「ご機嫌良さげですね。なにかいい事でもあったんですか?」
「あなたのお陰ですよ。まさかあなたにあんなに集客効果があるとは……!」
「たまたまだと思いますが……」
どうやら今日の売上が上々だったらしい。それならこの機嫌の良さも納得だ。
ただ、シェラが言うように今日シェラ目当てで来店してくれた客はたまたまだ。
たまたま今日が初日だったから来てくれただけで、これがずっと続くとは思わないでいてほしい。
「いいえ、あなたのマジカメ投稿を見て来店された1年生はみな新規顧客……。ポイントカードの営業をしたら好反応だったと伺っています。それに、あなたが提案した抹茶のスイーツの試食もメニュー化の問い合わせが多い。商売になりますね!」
〝商売になる〟。この言葉はアズールが言う最大級の褒め言葉だと、シェラは彼と関わっていくうちにそう解釈するようになった。
新規顧客の1年が食いついたモストロ・ラウンジのポイントカードとは、600マドルのスペシャルドリンクで1ポイント、1500マドルの限定フード付きメニューを頼めば3ポイント貯まるシステムだ。
50ポイント貯めるとアズールのお悩み相談が1回無料だという。
抹茶メニューの販促戦略について話した時は軽い気持ちでポイントカードの運用と上手く噛み合うのでは、と言ったが、よく考えるとその計算だとアズールに無料でお悩み相談してもらえるまで、モストロ・ラウンジで3万マドル近く落とさなくてはいけない。
守銭奴というより、もはや搾取神が宿っているのではないかとシェラは思う。
「今後もあなたの働きには期待しています。まずは初日お疲れ様でした。そろそろ賄いが出来上がる頃ですから、遠慮せずたくさん食べてくださいね」
アズールはそう言うと、その場を後にした。