第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
学内の風紀を乱さない為に周囲の男子生徒と同じ格好をしているだけで、特別女子というのを隠しているわけではない。
ジャミルもジャミルで、シェラ用に衣裳を仕立てることに対しては何も言わない。
この世界の人々は、シェラが元いた世界と比べると、老若男女問わず皆美しいものを好み、賞賛する文化が強い。
男性が女性と同じようにメイクを施すのもシェラの故郷では珍しいが、この世界では至って普通、一般的だ。
美しいものはメイクに限らず服装についても同じだった。
リドルやケイトがシェラ用にハーツラビュルの寮服……しかもシェラ専用でキュロットとブーツを用意しようとしてくれたり、カリムがスカラビアの宴に参加する用に絹で出来た熱砂の国の衣裳を用意しようとしてくれたりと、シェラを美しく着飾らせたがる人が多い。そしてそれを、みな楽しんでいる。
シェラはキャッシャーに会計を持っていくと、カリムとジャミルの見送りに向かった。
「あとシェラ、これを」
ジャミルは思い出したように、シェラに折りたたんだ紙のようなものを渡した。
「?なんですか?」
なにかと思いつつ受け取ったそれを広げてみると、それは1万マドル紙幣だった。
「!?」
1万マドルはいち高校生のシェラにとってはそこそこな大金である。
シェラは手にある紙幣を、そしてカリムとジャミルを順に見る。
「シェラ、今日はありがとなー!」
「カリムと俺からのチップだ。受け取ってくれ」
「えっと、あの、流石にこんな大金は……」
シェラが慌てていると、ジャミルはふっと表情を柔らかくして言い切った。
「きみの思慮深さはその金額に値するということだ。それに、一度出したお金を引っ込めさせるのか?それこそアジーム家の名折れだと、きみは思わないか?」
どこかで聞いたことがあるような気がする、ジャミルの台詞。
『一度出した金を引っ込めるなんて――のカシラの顔に泥を塗るのと同じだ!!』と恫喝する声の記憶が、シェラの脳裏に蘇る。
シェラは脳裏に蘇った自分の記憶に蓋をするように頭を横に振ると、カリムとジャミルに頭を下げた。
「……ありがたく頂戴いたします」
シェラがそう言うと、ふたりは揃って笑顔を見せ、スカラビア寮に帰っていった。