第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
「おう!お釣りはいらないからな!」
「え……?でも……」
あまりの富豪っぷり――羽振りの良さに面食らったシェラは、ぎょっとして言葉に詰まる。
ふたりがオーダーしたのは、ジェイドが淹れた紅茶のみ。
taxとサービス料を入れても会計は1200マドル。明らかにお釣りの方が多い。
「シェラ、いいんだ。カリムの言う通りにしてくれ」
「……かしこまりました」
カリムのストッパーもとい従者のジャミルがそう言うのなら、そうするべきだろうと判断したシェラは、これ以上食い下がることをやめた。
「シェラ」
会計をキャッシャーへ持っていこうとしたシェラの手を、ジャミルは掴んで引き止めた。
「いかがされましたか」
引き止められたシェラは振り返り、ジャミルを見る。
ジャミルは立ち上がると、シェラの顔を覗き込んだ。
チャコールグレーの三白眼がシェラをじっと見つめる。
なんだか蛇に睨まれている気分になった。
用件があるなら早く話して欲しい。
シェラが視線でそう訴えると、ジャミルは内緒話でもするかのようにシェラの耳元に唇を寄せ、小声で訊いた。
「俺達の食器を銀で出してくれたのはシェラの意見か?」
カリムだけではあからさま過ぎるから、ジャミルのものも銀食器で提供した。
目敏いジャミルは、自分達の食器が他の客と違うことにいち早く気づいていた。それも、おそらく最初におしぼりと水を出した時に。
どういうつもりでジャミルがそれを訊いてきたのかは分からない。
シェラとしては、誓って毒など入れていないという意思表示のつもりだったが、正直にそう言うつもりは無い。
ジャミルがどう捉えたかも訊くつもりはない。
口は災いの元という言葉もある。
それよりも、耳元で話されるとゾワゾワするからやめて欲しい。
シェラは鳥肌が立ちそうになる感覚を誤魔化すように、肩を竦めてみせる。
「どうでしょう」
否定も肯定もせずに、シェラは答える。
するとジャミルは、ふっ、とピリついた表情を緩和させ、掴んでいたシェラの手を離した。
「どうやら君は聡明さに加えて思慮深さも併せ持っているようだ。熟慮の精神のスカラビアにぴったりだと思わないか?ここでバイトさせておくのが惜しいな」
「ご冗談を」