第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
〝シェラに会いに来た〟。それを聞いたフロイドは甘く含みを持った言い方で相槌を打つと、口元に意味深な笑みを浮かべた。
シェラはカウンターの中で彼らの会話がひと段落するタイミングを待っていたのだが、一向にその気配がない。
水とおしぼりを持っていくのが遅くなるのは、あまり好ましくない。
「お話中失礼いたします」
シェラが控えめにオクタヴィネルの3人の後ろから声をかける。
会話の邪魔にならないように、人数分のグラスに入った水を置いていく。
「オーダーは後ほどお伺いしま……っ!?」
シェラが一旦退席しようとしたその時。
まるでリドルに見せつけるようにして、フロイドはシェラの肩をぐっと引き寄せ、シニカルに笑ってみせた。
その瞬間、リドルの表情が腹立たしげに歪んだ。
「ちょっと、離してください」
シェラはリドルの表情の変化を見逃さず、離してくれるようフロイドの手をトントンと叩いた。
しかしフロイドはそんなシェラの苦言を見事に無視して、その上リドルを煽るようなことを口にする。
「金魚ちゃん、どぉ?小エビちゃん、オクタヴィネルに転寮して来たみたいでいーでしょぉ?」
甘い甘い声で、オクタヴィネル、と言いながらフロイドは頬にキスでもしそうな距離までシェラへ顔を近づける。
「アルバイト、だろう?」
〝アルバイト〟を強調するリドル。あくまでもビジネスライクな付き合いだろう、と。
口元に笑みを浮かべてはいるが、頬は引き攣っているし何より目が全く笑っていない。
シェラはリドルと仲が良いと思っているし、リドルもそう思ってくれているという自負もある。
リドルからすると、目をかけている後輩が自寮のハーツラビュルよりも他寮と親しくしているのが寮長として気に食わないのかもしれないが、だからといってこんなところでフロイドと火花を散らすのはやめて欲しい。
口下手なシェラには、静かな一触即発状態をなんとかするような気の利いたことは言えそうにない。
困ったシェラはちらりとジェイドを見上げると、上品な澄まし顔から爆弾発言が飛び出した。
「フロイド、お客様の前でシェラさんと濃厚な接触をするのはやめてください」
やっぱりフロイドと同じ血が流れている。
「ジェイド先輩もっと別の言い方がありますよね……?」