第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
「後ほどお伺いに参りますので、少々お待ちくださいませ」
いくら気が置けない仲であるとはいえ、今のシェラはモストロ・ラウンジの店員である。
丁寧に案内すると、シェラは一旦その場を離れてカウンターへ向かう。
カウンターで待機していたジェイドが、シェラを迎えてにこりと微笑んだ。
「おや、シェラさんに会いにハーツラビュルの皆さんが来てくださったのですね。寮長のリドルさんまでご一緒とは。では、ご挨拶に行かなくてはなりませんね。僕はアズールを呼んできますが、オーダーはひとりで問題なさそうですか?」
「はい。もし分からないことがあったら誰かに聞きます」
「では、お願いします」
そう言ってジェイドは足早にVIPルームへ向かっていった。
シェラは開店前にジェイドに教えてもらった来店客への対応を思い出す。まずは、おしぼりと水を用意することになっている。
ジェイドがいなくなると、給仕シフトの先輩がシェラに声をかけてきた。
「3番テーブルのハーツラビュルのお客様、シェラちゃんに会いに来たんだろ?だったらお願いしていいかな?分かんないことあったら聞いてもらっていいから」
「はい。わかりました」
モストロ・ラウンジはテーブル毎に担当スタッフが決まっている。
表情を変えずにシェラは返事をすると、準備を進める。
台付きにおしぼりを乗せ、グラスに水を注いでいる最中に今度はフロイドから声をかけられた。
気配を消したフロイドは、シェラの背後に、ぬっ、と現れると、後ろからシェラの肩へ手を回す。
「あー!金魚ちゃん達来てんじゃん!」
「っ……!びっくりさせないでください……」
まさか背後にフロイドがいるとは思っていなかったシェラは、驚いてグラスを鳴らしてしまった。
その音に反応した給仕の寮生達の視線を感じ、シェラは『失礼しました』と言いつつ咳払いをする。
「あは。ごめーん」
「今ジェイド先輩がアズール先輩を呼びに行ってます。ご挨拶に伺うそうです」
ちゃきちゃきと準備を進めながら、シェラは今の状況を簡単に説明する。
「そーなの?じゃあオレも一緒に行こーっと!どーせオーダー入るまで暇だし」
上機嫌にニコーっと笑うフロイド。無邪気な笑顔の下で、きっとまたリドルに絡もうと企んでいる。