第9章 7-1. 咬魚の誘惑 前編
「シェラさん、あなた本当にメイクで変わりますね……。普段のぼんやりさは微塵も感じられない」
「ぼんやりは余計ですが、ありがとうございます」
ほんのり頬を染めたアズールは、照れ隠しか、眼鏡を上げる仕草を添えて、回りくどくシェラを褒めた。
しかしその言い方とは対照的に、感心した表情を見せている。
ふたりの褒め言葉に頭を下げつつ、ちら、とフロイドを見るが、すぐにシェラは目を逸らした。
好きだと想いを告げられた余韻がまだ消えない。
あれから数日、フロイドの態度は普段と変わりないものだった。
最後まで何も言わなかったフロイドは、シェラのそばまで歩み寄ると、上からシェラの顔を覗き込んだ。
「……いつもかわいーけど、メイクしてる小エビちゃんはずるい。これ他の雄も見んの?やなんだけど」
フロイドは淡く頬をピンクに染めながら、拗ねたようにむっとした表情で唇を尖らせる。
「なっ……、なにを、言ってるんです……」
予想外のことを言われて、シェラは上手く反応が出来なかった。
普段の薄い顔を可愛いと言われたこと、メイクで変身した顔を〝ずるい〟と表現されたこと、他の男子に見せたくないとやきもちを妬いていること。
好きな人にそんな風に言われたら、いくらシェラが朴念仁でも照れてしまう。
「そっ……、そろそろ開店準備の時間です」
ただ、フロイドへの恋心をまだ本人に伝えられていないから、シェラは誤魔化すように話題を変えた。
顔が熱い。表情筋は硬いくせに、こういうところはすぐに顔に出る。
「そうですね。では、行きましょう」
シェラの誤魔化しを察したのか否か、アズールはそう言って席を立つ。
フロイドはシェラから離れてテーブルの上に置いてあったハットを被った。
先導するアズールとその両隣に控える双子。シェラは3人の後について歩く。
「今日はフロイド先輩もシフトに入ってるんですね」
モストロ・ラウンジのホールへ向かっている途中で、ぽつりとシェラは言った。
「え?」
フロイドは歩きながら目線だけシェラにやりながら訊き返す。
シェラの言葉に、視線を正面に向けたままジェイドも反応した。
「いえ、当初の予定では初出勤日はフロイド先輩とシフト被ってないんだ、と思ったので」