第8章 6-2. 咬魚の束縛 後編
何気ないフロイドの問いに、ひゅっと息を呑んだシェラの唇が揺れる。
「夢……」
悪い夢、フロイドにそう訊かれたシェラの表情が曇る。
「そうですね……。夢……であってほしいですね」
弱々しく消え入りそうな声音で、シェラは呟いた。
願望を口にしたら、本当にそうなってくれないだろうか。
そんな莫迦莫迦しい期待を込めて、シェラは夢であってほしいと言った。
わかっている。
あれは、ただの夢ではない。
あれは、元の世界で暮らしていた自分の記憶。
わかっている。ただ、認めたくないだけで。
記憶のピースが揃えば揃うほど、記憶の中の自分と、今のシェラの乖離に気づいてゆく。
アイデンティティが揺らぐ。
「……?どういうこと?」
「…………」
不可解なシェラの言葉に、フロイドの頭に疑問符が浮かんでいる。
しかしシェラはフロイドの問いかけには答えず、ただただ黙り込むだけ。
心が苦しい。
記憶を取り戻せば取り戻すほど、絶望的な気持ちになる。
元の世界に帰っても、今のように笑うことの出来る自信が無い。
出来れば、このままずっと〝シェラ〟でいたいと思ってしまう。
シェラは更にフロイドの背中にぎゅっと抱きつくように、腕に力を込める。
シェラの耳元でフロイドの耳飾りが、しゃらん、と涼しげな音を立てる。
フロイドの背中は、相変わらず心地の良い温かさだった。
あの飛行術の日にフロイドに言われた、『強がりはやめよーよ』という言葉が、シェラの脳裏によぎる。
「フロイド先輩は、もし私が元の世界に帰りたくない、この世界にずっといたいと言い出したら、魔法が使えない異世界人のくせに、と軽蔑しますか。我儘だと思いますか」
「……え?」
フロイドに聞き返されて、シェラは内心自身を嘲笑った。
どうしてこう婉曲に婉曲を重ねた訊き方しか出来ないのか。
しかし随分と回りくどくても、これがシェラに出来る精一杯の甘えだった。
シェラは、自分の信念を貫く強さは持っていても、自分がつらい時に素直に甘えられる強さは持ち合わせていなかった。
だが、今日のシェラは違った。
優しさに背中を押され、フロイドに胸の内を話してみようと思えた。
どうしてほしいわけでもない、ただ、聞いてくれるだけでいい。