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泡沫は海に還す【twst】

第8章 6-2. 咬魚の束縛 後編


両親の記憶がほぼ無いのは、祖父に育てられてきたからだろう。
祖父が孫を思う気持ちを、彼女は気づいていない。

そう考えて、シェラは立ち止まる。

いや、気づいていた。
気づいていたが、それよりも家の外に居場所がないことに耐えられなかったのだ。
なにせ、学校ではこれなのだから。
アルバイトをしたいと言い出したのは、きっと学外で友達を作りたかったからだ。


記憶の世界とはご都合主義なところがあり、彼女を追おうと思った次の瞬間には、もう彼女のそばにいた。

ここは、彼女の自室か。久しぶりに嗅いだ、この藺草のにおい。
部屋の隅には、丁寧に畳まれた黒帯の道着や竹刀がひっそりと置かれていた。
畳敷きの殺風景な部屋に似つかない、身支度用の大きな鏡。
彼女は鏡に映る自分と向き合っていた。

「お嬢、大丈夫ですか?」
「ありがとう。でも、今は放っておいて」
この家にいる家族でない大人のひとりが、彼女へ襖越しに声をかけた。
彼女は彼の気遣いに感謝の言葉を伝えたのち、下がるよう言う。

「……こんな自分は、嫌だ」
再び向き合った鏡に映るのは、変わらず無表情の彼女。
しかしその黒真珠の瞳は、鈍い絶望が渦巻いていた。

「変わりたい。生まれ変わりたい……」
喉の奥から絞り出されたような声は、つらく震えていた。

きっと彼女はあの心無い噂話を知っている。
知っていながらも、ただ黙って湧き上がる感情を抑え込んで生きている。
そんな自分に嫌気がさしたと言わんばかりに、彼女は鏡に向かって強く願うように言った。

「新しい自分に、生まれ変わりたい」


空を覆っていた厚い雲は嘘のように散り散りになり、夕陽の鮮やかな橙が覗いていた。
そしてその橙を暗がりが今にも呑み込もうとしている。
異様な空気を漂わせる、美しくも禍々しい黄昏だった。

時刻は夕刻。またの名を、逢魔が時。
故郷の古い言い伝えでは、人でないものに遭遇し見初められるかもしれない時間帯だと云う。

外では鴉がガアガアと騒がしく鳴いている。

(鴉……)

シェラが何気なく窓の外を見た時。

ぎょろりとした鴉の眼と、視線が邂逅した。

(……っ!)

ゾッとしたシェラが、ひゅっと息を呑んだ瞬間、鴉の眼が金色に光り、低くおぞましい、そしてどこかで聞いたことのある声が響いた。

――見 つ け た 。
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