第6章 5. 人魚の純情
シェラはいたずらな笑みのまま、人差し指を唇の前で立てた。
クッキーはあくまで茶葉をくれたジェイドへのお礼である。
フロイドの性格を考えると、ジェイドだけ特別扱いすると後で文句を言ってきそうだ。
「……ありがとうございます」
シェラの笑みと、〝内緒ですよ〟その言葉が特別な響きを持って、ジェイドの胸にすーっと染み込んでいった。
年相応の初心な驚きが、柔らかな笑顔に溶けていく。
そんな嬉しそうなジェイドを他所に、シェラは『あ……』と声を上げた。
「お茶請けにと思ったんですけど、紅茶と一緒に食べるのに紅茶のクッキーは……」
紅茶との食べ合わせを考えていなかった。
紅茶のお茶請けなら、他の味のクッキーの方がよかった気がする。
今更なことをぶつぶつと呟きながらひとり考えるシェラ。
その様子をジェイドは微笑ましげにじっと見つめていた。
「お口に合わなかったら、寮の外を泳ぐ魚の餌にしてくれて構いませんので。……では、私はこれで」
服も返したし、クッキーも渡した。用事は全て済ませたと、シェラは鏡の方へ踵を返す。
「待って!」
帰ろうとしたシェラの手を、ジェイドはとっさに掴んで引き止めた。
「……なにか?」
引き止められたシェラは振り返り、ほんの少し訝しげにジェイドを見上げる。
〝待って〟の言い方が切羽詰まっていたように感じた。
「……よかったら少し休んで行きませんか?ちょうどランチも兼ねてモストロ・ラウンジの新メニューの試食会を始めようとしていたところです。シェラさんもご一緒にいかがですか?」
「え……?」
計算したようなタイミングでシェラの腹が、くぅ、と可愛らしく鳴いた。
そういえば朝から何も食べていなかった。
「……いいんですか?」
腹の虫は遠慮を知らない。
恥ずかしくて頬を染めながら目を逸らしたシェラとは対照的に、ジェイドはにこりと微笑んだ。
「もちろん。是非、シェラさんの意見も聞かせてください」
ジェイドは二つ返事で快諾すると、シェラを寮内へ招き入れた。
一瞬オンボロ寮にいるグリムの昼食について頭をよぎったが、ベッドから出たくないとごねて職務放棄をしたのはグリムだ。
お腹がすいたら勝手にツナ缶でも食べているだろうと思い、シェラは気にしないことにした。