第14章 感謝の日
3月12日金曜日。俺は先に道場から帰宅して風呂を洗う。今日は中彩が鍋を作ると言ってあらかた準備をしていたので、いつもは夕食の準備を手伝っているのだが、特にやることがない。俺は浴槽の泡を流しながら、らしくもなく、思いにふけっていた。
中彩の唇、髪、肌、瞳を思い出す。彼女の一つ一つにどうしても冷静でいられない自分がいる。まるでだらしのない男だ。自分がただ一人の女に取り乱される日が来るとは思ってもいなかった。
そして俺は、少し前に見た夢に思いを馳せる。中彩と俺が…、触れ合ったあの夢だ。まだあの夢の生々しい感覚を覚えている。
思い出して顔が熱くなるのを感じ、堪らず咳払いをした。意識を目の前の浴槽に戻す。嫁入り前の娘に手をつけるのは、良い事のはずがない。だが、万が一、中彩が希望した場合はどうする。
「2人で関係を作っていくことが大切なんです」
斉藤少年の言葉を思い出す。万が一、中彩がそういったことを希望するのに、俺が応えられないというのは、如何なものか。俺はそこまで考えて自分の思考に苦笑した。
「つい、馬鹿なことを考えてしまうな。」
中彩はそれしきのことで俺を幻滅するような人間ではないだろう。だが、もし中彩がそのようなことを望むのであれば…その時は、婚姻すれば良いだけではないか。
「待て、それは早計ではないか。」
反射的に口から言葉が漏れる。つい先日恋仲になったばかりだ、だが、ふと考える。中彩と婚姻。…俺はそれでも構わない。中彩に触れたいからという訳ではない、中彩と共にありたいとそう思うからだ。現に今も住食を共にしている。その間、特に支障はない。
「だがしかし、…」
「何ひとりでブツブツ言ってるんですか煉獄さん」
「!!!!!」
いつの間に帰ってきていたのか、中彩が後ろから話しかけてきた。俺は背中に汗が伝うのを感じる。中彩が「あ、お風呂洗ってくれたんですね」とお礼を言う。中彩はいつから聞いていたのだ。この家に住み始めてからの俺は、前の俺と比較しても恐ろしく無防備で不甲斐ない。中彩の気配に気付かないとは。
「何も無い!」
俺は中彩を半ば押しのけるようにして浴室を出た。そして玄関の荷物に目を見張る。