第13章 ハナミズキ
3月10日水曜日、私は会社を2時間早退して上野のパルコで煉獄さんと待ち合わせをした。待ち合わせは7階のTOHOシネマズ。私はエレベーターのボタンを押す。
私もいい大人だ。先日の煉獄さんの言葉を読み取れないほど、幼くはない。素直に、私は煉獄さんの言葉が嬉しかった。煉獄さんと、そういう間柄になれたら…、だけど、私は煉獄さんがこちらの世界に来る前のことを何も知らない。
花子ちゃんのように、煉獄さんを知っている煉獄さんを好きな人が沢山いるのに、私が煉獄さんを知らなかったら、いつまで経っても私は胸を張って隣にいれない。それでいいはずが無い。煉獄さんを知る皆でなく、何も知らない私が彼を受け入れていいはずがない。
だからこそ、私は煉獄さんという存在をちゃんと知らないといけないと思った。だからこそ、私は煉獄さんを映画に誘った。
「中彩。」
7階。エレベーターが到着してドアが開くと、煉獄さんはもう既に先に着いていた。私に気付いて手を振る。
「煉ご、…」
ここでこの名前を呼ぶのは危険だ。私は途中まで呼びかけて口を噤んだ。ここには、煉獄さんを知ってる人が沢山いるんだ。
そんな私に首を傾げる煉獄さん。私を心配そうに眺めている。
「チケット買いましょうか。」
「ああ。」
タッチパネルを操作する。17時55分からの回、大人を2枚。煉獄さんは目を丸くしてその様子を見ている。
チケットを買ってそのうち1枚を煉獄さんに渡し、私は煉獄さんの背を押した。変に周りの目に付くといけない。そんな私に煉獄さんは不思議そうにしながら、ただ押されていた。ドリンクやポップコーンは買わなかった。煉獄さんが映画館の中で「うまい!」って万が一言ったら大騒ぎになるかもしれないと思ったからだ。ちょっと意地悪だけど、許して欲しい。
入口で検温とチケットの確認をした。右奥のエスカレーターを昇る。向かうはシアター7。
シアター7に向かいながら、私はふと帰りたくなった。映画を見るのが怖かった。花子ちゃんが言っていた、「煉獄さんは映画で死んだ」という言葉が反芻していた。
私、自分が思っているよりも煉獄さんが好きなんだなぁ。ふと情けなくなった。煉獄さんを映画に誘ったのは自分なのに。煉獄さんの方がよっぽど辛いに決まってるのに、私の勝手で煉獄さんを連れてきて、全くどうしようも無い。私は自分に苦笑した。
