第10章 天照手記ー魂の記憶ー
その後も幾度も検証を重ねた。
御館様の耳にも入ったようで、現鬼殺隊士には、桜華の名前を伏せたうえで薬を生み出す彼女が存命のうちは本人の健康状態を考慮しながらという条件の元、検証を進めることに協力してくださった。
藤襲山に鬼が集められ、柱ほどの実力がある者たちがそれらに取り掛かった。
それからというもの、何十もの結果が集まり分かったことがある。前の哀禍の件も含めると
一つ、本人の周りにある鬼は、無惨の支配から逃れ、時間がたつほどに僅かながらも本来の人間の姿心に戻っていく事。
一つ、本人と共にくらす時間が長いほど、人間の頃の記憶が戻ってくること。
一つ。桜華の血を吸収した鬼は、依存などの自覚症状がないが、彼女の血以外の血肉を喰らえなくなり、もし喰らえば即もがき苦しみ死に至ること。
故に、検体として捕獲したものの8割は他の者の血を与えれば死に、2割は少しずつ衰えて死んでいった。
その2割を捕獲していた隊員が鬼から最後に聞いた言葉は一様に、鬼になって人を喰らったことへの強い罪と懺悔の想い。地獄の道しか残されていない事への落胆だったという。
その者たちの家族などの関係者にもたどり着けたが、彼らが言うには、本来心根の優しい者、人から好かれていた者も多くいたという。
私だけでなく、日神楽家や検証に関わった隊士は思う。
鬼という生き物はなんと悲しく憐れな者だと。
そして、人の人生を己の私服を肥やすために捻じ曲げる無惨を滅ぼさねばならないと強くなった。
その年の年の瀬。
前々に、御館様と約束していた藤襲山での日神楽家との集まり。名を”鎮魂慰霊舞踊の儀”と名付けられたのもそう言った経緯である。”人も鬼になった者の魂も、また生まれ変わって真っ当で幸せな人生を歩めるように”という願いと祈りを込められたものだった。
事情を知り、検証にも関わった”柱”も招待され、その年の鎮魂慰霊舞踊の儀は厳かに執り行われたのだった。