第10章 天照手記ー魂の記憶ー
水無月。
梅雨の時期であるというのに
雨も降らず、暑さも乏しい
曇った空がどんよりと重くのしかかる。
ここは、三河の中心地。
桜華が暮らしているという呉服問屋がある。
店の前に来た時に、女将らしき女性についてまわる6歳頃の娘がいた。
一目で兄の娘だと分かるほど似ており、最後にお会いした時に来ていた着物と同じ紫がかった青の羽織を着て、後ろを結び紐で結わえていた。
すれ違う老若男女が彼女を振り返るほど美しい幼女に成長しており、身なりも綺麗で、笑顔を絶やさないことから幸せに暮らしているものと安堵した。
あの娘は父である我が兄の事をどう思っているのだろう。
ふと聞きたくなる。
だが、私にはもちろんその資格など、彼女に関わることを許される資格など無い。
私はあまりにも長い事彼女を見ていたのだろう。
桜華がこちらに気づき、驚いた様子で止まった。
私はその場から離れるべきなのにそれが出来ず、そうしているうちに少女は女将に頭を下げてこちらに向かってくる。
女将とも目線が合い、気づかれてしまった以上無下にも出来ずやむ無く会釈をする。
駆け足できた少女が私を見上げて言う。
「初めまして、お侍様。
失礼を承知の上ですが、あなたから何やら懐かしい気配がするのです。
もしや叔父上様ではありませんか?」
少女は優しい顔つきで、しかし、心に嬉しさと懐かしさを秘めた涙声で私に尋ねてきた。
「いえ……、私は.....。」
きっぱりと違うと言えぬのは、胸に込み上げる様々な感情からだろうか。
天涯孤独、いろいろなものを失ってきた私にとって、
目の前の少女がただ一人の血縁者であり、亡き妻の腹にいた子どもが生きていればこの様な歳の頃と思えば目頭を熱くするのも抑えきることが出来なかった。
「叔父上様。お会いしとうございました。」
私を待ち望んでいたかのように瞳を潤ませ人目も気にせず足元に縋り泣く彼女を引き離すことが出来なかった
私は少女の父親を奪い、鬼にしてしまった身の上だ。
この娘は知らぬだろう。
鬼というものを
その鬼を狩る存在がいる事も
そして人間を助けるべき役割に就いた父親が鬼になったことも。