第9章 月詠の子守唄
「今の俺でもそう思う。そういう意味でも暴走していた俺を止めた桜華の存在は、今でも頭が下がらん.....。」
「まぁそうやって頭を下げていろ。彼女は恩人の娘であり、珠世様の悲願を叶えられる人間だ。」
だったら俺もその力を持っているのにその対応かという気持ちもあったが、これも彼女がいてこそ得た力でそれを言うのは違うと飲み込んだ。
「お前は鬼なのに、女房想いだな。」
「.....っ!...俺はっ..けけ...決して珠世様とはそんな関係じゃない!」
動揺した反動で、注射針を固定している手が動いてそこから僅かな痛みを感じた。
「危ないだろぅ!!変なことを言いやがって!お前はもう人間なんだ。怪我しても一瞬じゃ治らんぞ!」
「問題ない。そうキンキンと声を荒らげるな。珠世さんに怒られるぞ?」
「ぐぬぬぬぬぅ!」
愈史郎は存外わかり易すぎる男で単純だ。まんざらではない事がよく分かるほどに顔を茹蛸のように真っ赤に赤らめながら慌てている。
分かっている。夫婦ではなく、コイツが勝手に珠世の事を好いて下僕になってる感じだろう。
人間の思考、心を持った鬼は彼らしか見たことはないが、血は飲んでも肉を喰らわない者は気配だけは違えど、それ以外は本当に人間らしい。
バタバタと廊下を走る音が聞こえた。
溢れる血を隠して来たであろうコイツの主人を待った。
バンという音と共に血相をかいた珠世の顔がこちらを見ていた。
「愈史郎!どうしたのですか!?」
「珠世さん。問題はないです。俺がちょっかいかけただけですので。」
「珠世様!申し訳ございません!!!」
珠世の視線が、俺の隠している腕の方に目がいった。たいしたことはないと首を横に振って見せると、申し訳なさそうな表情で、ため息を一つ吐いた。
「狛治さんは人間です。怪我をさせぬよう気を付けてあげてください。頼みましたよ。」
「はい。珠世様。」
深い会釈をして珠世が部屋を出た。腕を隠していた手を離すと出血は止まり少し汚れている程度だ。
「悪いな。消毒する。」
バツが悪そうに声をすぼめるの愈史郎に申しわけないが少し笑ってしまった。
「気にすることはない。こういった小さな傷ももう秒で治ることはないのだな...。」
自分の僅かな人間らしい様子に頬が緩むのを感じた。