第9章 月詠の子守唄
少し離れたところで、闇夜に消える鬼を見送る桜華の後ろ姿を
男二人が見守っていた。
前方にいた狛治が、桜華の様子を見て歩み寄る。
近づく気配が夫のものだとわかった桜華は深く息を吐いて、振り向かないまま口を開いた。
「わたしが何者かという疑問が、巧一さんの話を聞いてから、頭から離れないんです。
御父様がわたしに話した言葉を思い返しても、
いつも、わたしが知らない誰かがいる。
御父様のこと大好きで尊敬もしていたけど、
どうしても、何か忘れていて足りない気がする……。」
泣いてはいないもののどこか不安気で落ち着きがないようだ。
「桜華…?」
未だにそれが誰かと言えずにいる狛治。
罪悪感に顔をしかめるも、その真意が掴めず不安を抱えながら先の言葉を求めた。
「それにね、思い出そうとする度に、あの鬼が……
家族も親戚も全部奪ったあの鬼が……
脳裏でチラついて離れない。」
「颪が、自分の名を呼んだとき、真っ先にあの鬼のことが気になったの………。
そして、颪から、あの鬼が、無事でいる事を知らされてね……
わたし……
わたし……。」
”安心した気がした”という言葉を出せずに震える。
彼女の性格として、その先の言葉を声に出すことは自分自身が許さなかったのだと狛治はそう思った。
「そうか……。不謹慎だとか、親不孝だとか
自分を責めるな。
君が感じた素直な気持ちだろ?
それに、アイツは間違いなく、命を張って俺たちを逃がしたんだ。
優しい君が、それを少しくらい恩に思っても何もおかしくない。」
全てを知っていなければ、こんな言葉は躊躇して出せなかったのかもしれない。
この先、全てが明らかになった時、桜華が自分自身の存在を否定するようなことにならなければいいと願わずにはいられなかった。