第19章 ドンキホーテ・ロシナンテ
…怯えるな、あたし。
奴は何もしていない。ただそこにいるだけだ。
殺意も悪意も感じられない。
ただ自然に立っているだけだ。
だけど。
少しでも動けば一瞬で喉首を掻き切られる。──自然体でもそう思わせる獰猛さと迫力が彼にはあった。
服の上からでも分かる筋肉質な体躯がそう思わせるのか。サングラスで隠された素顔が不気味さを助長させるのか。はたまた、派手なチェリーピンクのコートが、彼の存在感を更に際立たせているのか。
見えない気迫に思わず足がすくむ。
「…そう怯えるな。お前には何もしない。ここに呼んだのは、ただ話をしてやろうと思っただけだ。"家族"にしかできない話を」
どこまでも悠然とした態度で応じる彼。あたしは自分を鼓舞して、声を出すために二度ほど唾を飲み込んだ。
「そう。なら、早く話してちょうだい。あたし、用が済んだらすぐに帰るんだから」
振り絞った声は、少し震えて、あまりにも迫力がなかった。男はそれを聞いて喉の奥で嗤う。
「フッフッフッ…気の強いやつは嫌いじゃねェが。俺に歯向かうのは利口じゃないだろう。特にお前は」
「それは…」
…どういう意味だろう。…特に?
あたしがあまりピンときていないのを見て、ドフラミンゴの方も心底不思議なようだった。
「…そう、それだ。俺もそれが気になっていた。お前はなぜ知らないんだろうな。覚えているはずだと思ったが」
少し考え込むように横を向いた後、やがて、何か思い当たったように呟く。
「…そうか。敢えて何も教えなかったか。もしくは忘れさせた、か。…相変わらず頭の回る奴だな」
そして改めてあたしの方に顔を向け、ゆっくりと下唇を舐める。見えるはずもないのに、サングラスの奥で、男の目がギラリと光ったような気がした。
「…いずれにしても、全て無駄だったわけだが」
あたしは服の下でぞわっと肌が粟立つのを感じた。一瞬怯んだのを悟られないように、できる限り平静を保ってドフラミンゴを見つめ返す。
気迫で負けてる場合じゃない。
たった一人でここに来た理由を思い出し、己を奮い立たせる。