第19章 ドンキホーテ・ロシナンテ
気付けば木の葉の影から差し込む光がだいぶと薄くなっている。目の前のガキを教会に戻さなきゃいけねぇことを思い出し、俺はようやく腰を上げた。
初めからこのまま放置して去る気は無かった。だが、能力を使わず時間をかけて歩いて送ることにしたのは、少なからずこのガキに興味を持ち始めていたからなのかも知れなかった。
ガキを背負い、背に温度を感じながらそんなことを考える。
「ねぇ、さっきちょっとだけ嘘ついちゃったの」
背後で小さく声がした。
返事はしなかったが、アウラはそのまま話を続ける。
「本当は生まれた時から教会にいるわけじゃなくてね、ここに来る前の記憶がちょっとだけあるの。誰にも言ってなかったんだけど」
秘密事を打ち明けるように、囁く。
首に回った腕に少しだけ力が込められた。
「大きな人でね。あの頃あたしはずっと小さかったけど、それでもすごく大きな人だったと思うの」
微睡の中にいるような柔らかい声が耳に心地良い。やはりなと思いながら、それでも無言で歩き続ける。
「──その人、お前は自由だって。そう言って笑ってた」
聞こえた瞬間、思わず足が止まった。
あの人の声が、耳の奥で鮮明に再生される。
『もう放っといてやれ!!あいつは自由だ!!』
壁一枚隔てた向こう側で、あの人が叫んだ言葉。
それが、最期の言葉だった。
──ああ、知ってるよ。
そういう人だ。
不安定な立場に身を置き、人の心配してる暇なんかねぇのに、他人のために温かい涙を流せる人だ。
誰よりも優しい──俺がこの世で一番尊敬している人だ。
全部、知ってる。
お前をここに置いて行ったのはその人だってこと。お前の家族だってこと。
そして、もうこの世にいないことも全部。
──3年前に死んだんだ。
ガキ一人の命と引き換えに。
「ロー。明日も会える?」
別れ際、小さく聞こえた声。
夜が訪れる前の薄暗い景色の中で、澄んだ瞳だけが真っ直ぐに俺を見つめ返す。
俺が今更何をしたところで、コラさんに恩を返せるわけではない。だが──。
「……お前が、戦う気になったらな」
──望むなら、一緒にいてやるよ。
せめて、お前が一人で立ち上がれるようになるまでは。
お前が貰うはずだった全てを、奪ってしまったその代わりに。